壺齋散人の 映画探検
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山本薩夫の映画:主要作品の解説


山本薩夫は、溝口健二や小津安二郎のような職人気質の映画作家ではなく、自分の主義主張を映画を通じて訴えかけるタイプの作家であった。かれの主義主張とは共産主義のようである。かれは戦後すぐに日本共産党に入党し、共産党の方針に沿いながら、日本社会の変革を訴える作品を多く作った。ふつう、こうした政治的プロパンダ性を露骨に感じさせる映画は疎まれるものだが、なぜか山本の作った映画は、どれもヒットした。戦後しばらくの間、世間に権力批判的なムードが残っていたことも山本の映画を受け入れさせたのであろう。

そうしたムードが薄らいで、人々が純粋な娯楽性を映画に求めるようになると、山本もまた娯楽路線に転換した。そんな山本を、大映などのメジャー資本も起用するようになった。「忍びの者」シリーズはその代表的なものである。

戦時中に監督デビューした山本は、「翼の凱歌」などの戦意高揚映画をつくり、共産主義とは縁がなかった。かれが共産党に入党したのは1947年のことで、その年に亀井静雄と共同で「戦争と平和」を作ったのを皮切りに、権力批判を正面に据えた政治的な映画を立て続けに作った。地方政治の腐敗を暴いた「暴力の街」(1950)、非人間的な軍隊生活をテーマにした「真空地帯」(1952)、労働争議を描いた「太陽のない街」(1954)、無産政党代議士山本宣治の半生を描いた「武器なき闘い」(1960)、権力による謀略を疑われた事件を取り上げた「松川事件」(1961)といった作品群である。いずれも強い政治的メッセージを感じさせるものだ。

山本の人気を認めて、商業映画の作成に誘ったのは大映だった。それまでの山本は、自主製作で映画を作っていた。低予算でこじんまりとした作品しか作れず、スケールの大きな作品とは縁がなかった。大映に入ることで、予算も潤沢になり、規模の大きな映画を作れるようになった。大映で最初に手掛けたのは「忍びの者」で、これはスケール観も豊かで、大いに庶民受けした。

その後は、同時代の人気作家の小説を原作とした、いわるゆ文芸作品を作るようになった。継子いじめをテーマとした「氷点」(1966 三浦綾子原作)、大学医学部の権力争いをテーマにした「白い巨塔」(1966 山崎豊子原作)、金融界の主導権争いを描いた「華麗なる一族」(1974 山崎豊子)、巨大汚職事件をテーマにした「金環食」(1975)などである。その合間に壮大なスケールの大河映画「戦争と人間」三部作(1970~1973) を作っている。

晩年には再び社会的な視線を強く感じさせる映画を作るようになった。自衛隊不満分子のクーデタをテーマにした「皇帝のいない八月」(1978)、製糸工女の悲惨な境遇を描いた「あゝ野麦峠」(1979)といった作品である。「あゝ野麦峠」は、いかにも山本らしいヒューマニズムがあふれており、その強烈さに共感するものがいる一方、嫌悪感を隠さないものもいる。その理由としては、富岡製糸場が世界遺産に登録され、日本のいわゆる産業遺産が世界的に評価されているのに、山本は製糸場の非人間性に焦点をあてることで、日本の産業遺産の偉大さと、日本人の誇りを傷つけたという被害感情があげられる。もっとも山本自身は、世界遺産とはまったく関係なく、日本の資本主義自体の非人間的な体質を批判したのであったが。ともあれこの映画は、色々な意味で、山本らしさを凝縮させたような作品で、彼の代表作といってよい。

ここではそんな山本薩夫の数多い作品の中から、主要な作品を取り上げて、鑑賞しながら適宜解説・批評を加えたい。


山本薩夫の映画「暴力の街」:権力と暴力

真空地帯:山本薩夫

太陽のない街:山本薩男

山本薩夫「荷車の歌」:女の地位

山本薩夫「武器なき斗い」:山本宣治の半生を描く

山本薩夫「松川事件」:冤罪事件を描く

山本薩夫「忍びの者」:伊賀忍者と信長の対決

山本薩夫「氷点」:継母の継子いじめ

白い巨塔:山本薩夫

山本薩夫「戦争と人間」第一部「運命の序曲」

山本薩夫「戦争と人間第二部愛と悲しみの山河」

山本薩夫「戦争と人間第三部完結編」

山本薩夫「華麗なる一族」:銀行家の野心

金環蝕:山本薩夫

山本薩夫「皇帝のいない八月」:自衛隊のクーデタ計画

山本薩夫「あゝ野麦峠」:女工哀史




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