壺齋散人の 映画探検
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山本薩夫「荷車の歌」:女の地位



山本薩夫の1959年の映画「荷車の歌」は、全国農協婦人部の寄付金で作られた作品だそうだ。どういう意図から農協がかかわったのか。おそらく農村における女性の地位向上を目的としたのではないか。この映画を見ると、農村の女性は二重の意味で抑圧されている。一つは家庭における処遇の厳しさであり、一つは社会的な性差別である。家庭での抑圧は、姑によるいじめにあらわされ、社会的な差別は女が自立できる仕事がないことであらわされる。この映画の女性主人公は、経済的な自立をいくらかでも得たいと思えば、男と同じ仕事をするよう迫られるのである。一方、女性主人公は、好きな男と一緒になって添い遂げることになっているから、一応意に沿った生涯を送ったといえる。亭主に浮気されることもあったが。いづれにしても、抑圧されて苦しむばかりでもなかったというふうに描かれている。だから、不自由なことがあったとはいえ、農村婦人としては成功した例ではないかと思わせるのである。

舞台は三好という山間部の部落。三好といえば阿波の山中にある村落(三好氏の根拠地)を想起するが、この映画の三好は広島の山間部だそうだ。そこに三国廉太郎演じる郵便配達夫と、望月優子演じる女中が惚れあって一緒になる。女は両親から大反対され、奉公先からも追い出されて、風呂敷一つを抱えて男の家にやってくる。そんな女に姑はつらくあたる。男は母親のすることに歯向かえない。だが、女はひたすらに耐え忍ぶ。郵便配達をやめて荷車引きになった亭主に従い、自分も荷車引きの重労働に従事する。体を使う仕事で、腹もへるが、ろくなものは食わせてもらえない。だが、歯を食いしばって働き続ける。その甲斐あって、暮らし向きはだんだんとよくなり、子供たちを五人も育てた。子供たちと母親との関係は良好で、そのため女は次第に自分の居場所を見つけられるようになる。女は、何といっても、家庭の中では、母親として始めて堅固な立場にたつことができるというわけであろう。

いろいろなことが起きる。長女が祖母との折り合いが悪いことで、里子に出さざるを得なかったり、暮らし向きが悪くなった時には、娘二人を働きに出したりといった具合だ。しかしなんとかきりぬけて暮らし向きはよくなってゆき、自分らの家を持てるまでになる。しかし、暮らしにゆとりができたと思えば、亭主が女を作るといった具合に順調ばかりとはいえない。

映画の終末部分では、戦争の影が押し寄せてくる。この戦争で、次男は南方で戦死し、長男は行方不明になる。しかしあきらめかけたところに、長男が戻ってくる。これが母親にとっては何にもましてうれしいことなのだ。その当時の日本の女は、農村の女にかぎらず、息子だけが唯一の希望だったということが、この映画のラストシーンからはよく伝わってくる。




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