壺齋散人の 映画探検
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山本薩夫「戦争と人間」第一部「運命の序曲」



山本薩夫の映画「戦争と人間」は、五味川純平の同名の小説を映画化したものだ。なにせ九時間を超える超大作であるから、一時に公開できる規模ではないので、三部に分けて制作・公開された。全編を通じての内容は、張作霖爆殺事件からノモンハン事件までを背景にしながら、軍部とそれに結びついた政商の動きを描くことにある。その政商にはモデルがあるのかどうかが話題になったそうだが、原作者の五味川自身、モデルは成り上がり財閥鮎川だと言っている。五味川は日産グループの企業で働いたことがあり、鮎川をめぐる人間関係に通じていたようである。

第一部は「運命の序曲」(1970年)と題して、張作霖爆殺事件から満州事変の勃発までを描いている。この二つの事件に鮎川が密接なかかわりを持っていたということになっている。それもかなりダーティなやり方で。鮎川の人間たちは、人間らしい良心を持ち合わせておらず、平気で人を殺したり強姦したりする。かれらがそこまで残酷になれるのは金のためだ。金への執心がかれらの野望を膨らませ、日本を戦争への道に向かわせる。戦争はかれらにとってまたとないビジネスチャンスだからだ。

とにかく見ていてムカついてくるような映画である。鮎川財閥は伍代財閥といいかえられており、その領袖は滝沢修演じる伍代由介である。その弟喬介を芦田伸介、長男を高橋悦史、長女を浅丘るり子が演じている。浅丘はともかく、男たちはみな欲の塊のような悪党たちである。その悪党たちが関東軍の下剋上の連中と結びついて、戦争に向かって謀略をめぐらし、それが成功して、日本が日中戦争にはまっていく過程を描く。

見どころはいくつかある。伍代財閥の連中を脇に置けば、まず、関東軍が独断で張作霖を爆殺する場面。簡単に爆殺される張作霖は、間抜けな風貌に描かれているが、当時の日本では張作霖は間抜けの象徴のように思われていた。ひとを間抜け呼ばわりするときに、「この張作霖め」とよく言われたものだ。

二つ目は、伍代を含めて権力側の人間が、共産主義者を極度に恐れていることだ。共産主義者は日本にも中国にもいるので、日本では赤狩りと称して大弾圧が行われ、中国では、共産軍への憎悪というかたちをとる。日本共産党員であった山本は、そうした共産主義恐怖に対して冷笑を浴びせている。

三つ目は、中国人たちの描き方だ。中国人には買弁的なものもいれば、愛国排日分子もいる。排日分子には朝鮮の独立運動家も加わり、日本人を相手にさまざまな攻撃を加える。そういう朝鮮人を日本人は、伊藤博文を暗殺した安重根を含めて不逞鮮人と呼び憎悪したものだが、この映画の中の朝鮮人は、かれらにも彼らなりに一理あるというような描かれかたをされている。なお、鮎川義介は、伊藤博文や張作霖爆殺事件当時の首相田中儀一同様、長州藩閥に属していた。

以上を通じて、伍代財閥が密接な利害関係者として描かれているわけだ。その描かれ方は、私益のために日本の公益を犠牲にして恥じないならず者という姿である。モデルの鮎川財閥の関係者のうち、鮎川義介は1967年に死んでいたが、かれの家族はまだ生きていたはずであり、その家族にとってこの映画がどのように映ったか、興味深いものがある。




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