壺齋散人の 映画探検
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山本薩夫「あゝ野麦峠」:女工哀史



山本薩夫の1979年の映画「あゝ野麦峠」は、原作の副題に「ある製糸工女哀史」とあるように、女工哀史ものというべき作品。諏訪の岡谷を舞台にして、製糸工場で奴隷的な境遇に生きる不幸な女たちを描いている。その女たちは、13歳くらいから工場で働き始め、嫁入りする年頃まで、親元を離れて集団生活をしながら、過酷な労働と劣悪な環境のため、若い命を失うものが多かった。そうした不幸な女たちを情緒豊かに描いたことから、この映画は大変な反響を呼んだ。当時の日本人はまだ、不幸な人間に同情する気持ちを失っていなかったようである。

ところが、富岡製糸場が世界遺産に登録されたことがきっかけで、同じ製糸場を描いたこの映画が、富岡のイメージを毀損するという理由で、これを誹謗中傷する空気が生まれた。だが、製糸場のひどい人権蹂躙は歴史的事実として否定できないので、富岡は別だという意見も出た。富岡で働いていたのは士族の娘たちであり、彼女らは上等の待遇を受けていたというのである。しかし、それは富岡の初期の頃のことで、やがては岡谷と同じようなひどい待遇が支配的となったことは、富岡の附属病院で死んだ娘の数が五十名にのぼることから明らかである(案内人の解説による)。死因は結核だという。結核になった娘はなるべく早く引き取らせたはずだから、実際の総数は五十名の数倍に上ったものと推測される。とにかく、製糸工場における女工の待遇がひどいものだったことは否定できないのである。

映画は、鹿鳴館で踊り狂う上流階級の人間どもと対比させながら、飛騨から諏訪に向けて雪の積もった山道を歩く女たちの隊列を映すことから始まる。その隊列の中に、13歳の少女ミネ(大竹しのぶ)がいた。彼女は口減らしと小金稼ぎを目的に祖父に売られたのである。ミネは、雪道を踏み外し、谷間にころげおちるが、なんとか助けられて道を急ぐ。途中宿泊した山小屋の老婆から、谷間から這い上がってきたお前は、長生きするに違いないと占われるのであったが、実際には若い命を結核で失うのである。

製糸工女における彼女らの生活が情緒的に描かれる。工女らは、逃亡を恐れる雇い主によって、扉にカギをかけられ、事実上の軟禁状態である。その状態で、未明から夜まで十五・六時間も働かされる。衛生状態がよくないので、結核になりやすい。ミネもまた結核にかかってしまう。彼女は優秀な女工で、百円工女などと呼ばれてちやほやされていたが、結核になると余計者扱い。兄が引き取りに来て、彼女をショイゴに背負って連れていくが、故郷の飛騨につく前に、野麦峠で息をひきとるのである。

彼女のほかに、数人の不幸な運命が語られる。過酷な境遇に絶望して脱走したあげく、湖にはまって死ぬ少女。窃盗の嫌疑をかけられた恋人とともに、心中を選んだ娘。雇い主の息子に妊娠させられた挙句放り出される女などだ。原田美恵子演じるその女も、宿屋の老婆に助けられる。

そんなわけで気の重くなるようなテーマを描いているわりに、あまり暗い気持ちにならないのは、大竹はじめ女たちの生きざまがいさぎよいからだろう。




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