壺齋散人の 映画探検
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吉田喜重の映画:主要作品の解説


吉田喜重は、大島渚と並んで松竹ヌーベルバーグの旗手などといわれて、もてはやされた時期があった。とはいえ、この言葉自体が厳密に定義されていたわけではなく、なんとなくムード的に使われたこともあり、その内実は曖昧なままであった。だから吉田のどこがヌーベルバーグ的で、それがどのような理由で、同じくヌーベルバーグのレッテルを駆られた大島渚と共通性を持つのかについては、まったく明らかでなかった。だから今日、かれらをヌーベルバーグの名で形容するのは無意味であるといえる。吉田喜重は吉田喜重でしかないのである。

その吉田の作風は、なかなか定義しがたいものである。吉田自身は真面目な気持ちで映画作りをしているらしいのだが、その真面目さが観客には伝わってこず、ある種の無作法を感じさせるのである。その無作法は、かれの代表作とみなされる「日本近代批判三部作」においてあからさまな形をとるのだが、すでに初期の頃から指摘できる。「秋津温泉」はかれの初期の代表作であるが、この映画は、後に彼の妻となった岡田茉莉子の演技だけで成り立っており、内容は空疎である。しかもその岡田が、どこか足りない女を演じている。岡田茉莉子という女優は、決して愚かな女性ではないと思うのだが、吉田の手にかかると、どうも足りないイメージが前面にでてくるのである。岡田は、「女のみずうみ」では、「足りない」を通り越して、「おろかさ」を演じさせられている。もっとも女としては、「足りない」といわれるより、「おろかだ」といわれるほうがましだといえるかもしれぬが。

吉田喜重の無作法ぶりは、「日本近代批判三部作」で増幅された形であらわれる。「エロス+虐殺」は大杉栄と伊藤野枝の痴情をおもしろおかしく描いたものだし、「煉獄エロイカ」は日本共産党の戦後の妄動ぶりをかなり茶化して描いたものだ。また、「戒厳令」は北一機を描いたものだが、かなり恣意的な描き方になっている。それらの作品には、歴史上の人物なり団体をモデルにしているにかかわらず、事実を曲げたり矮小化したりと、無作法というより不誠実な態度が見られる。けして事実其の儘に忠実であれというわけではないが、事実に脚色を加えるにも、最低限の礼儀というものがあるだろう。

「人間の約束」は、認知症の老人をテーマにしたもので、これは吉田としては珍しくシリアスな内容である。認知症の老人を演じた三国連太郎の演技が光っており、この映画の価値はかれの演技によるところが大きいと思う。また、「鏡の女たち」は、老いた母親の、失踪した娘へのこだわりを描いたものだが、これはモチーフの深刻さのわりにはすとんと来ないものがある。岡田演じる母親が、世の常識とはかなりかけ離れた人物像になっているからだ。岡田は若いころに軽率な女を演じさせられたのだったが、老いてもなおそんな役を演じさせられたわけで、いくら夫婦といっても、不本意に感じるものがあったのではないか。

ここではそんな吉田喜重の主要な作品をとりあげ、解説・批評を加えたい。


吉田喜重「秋津温泉」:大戦末期の男女の恋愛劇

吉田喜重「女のみづうみ」:不倫のツケ

吉田喜重「エロス+虐殺」:大杉栄の半生

吉田喜重「煉獄 エロイカ」:戯画化される左翼過激派

吉田喜重「戒厳令」:北一輝の半生を描く

吉田喜重「人間の約束」:痴呆症を描く

吉田喜重「鏡の女たち」:すれ違いの母子




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