壺齋散人の 映画探検
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木下恵介の映画:作品の解説と批評


木下恵介は黒沢明と共に、戦後の日本映画をリードした巨匠である.。しかしどういうわけか、黒沢よりかなり低く評価されてきた。その理由として、黒澤に比べて地味な作風だとか、安っぽいヒューマニズムをあげる批評家が多いが、最近になってまさにそうした作風が海外で高く評価されるようになり、木下恵介は戦後日本どころか日本映画を代表する偉大な映画作家の一人に数えられるようになった。それに伴い、日本国内での評価も高まりつつある。

木下恵介は黒澤明とほぼ同じ時期に映画監督としてデビューした。デビュー作の「花咲く港」はコメディタッチの風俗映画だった。四作目に陸軍の意向を受けて「陸軍」を作った。陸軍としては、戦意高揚に役立つ映画を作ってほしかったのだと思う。ところが戦意高揚ではなく、厭戦気分を掻き立てる不届きな映画だと受け取られた。田中絹代演じる軍国の母が、息子を送り出す表情が庶民の厭戦気分を掻き立てるというのである。そんなわけで木下は陸軍ににらまれ、以後映画作りの第一線から放逐されることとなった。木下といえば非常におとなしい印象があるが、実は芯の強いところがあったのである。

戦後映画作りの現場に戻った木下は、とりあえずは、あたりさわりのない娯楽映画を連発した。1951年に、人気女優高峰秀子を起用して、日本で初の総天然色映画として「カルメン故郷に帰る」を作った。これは戦後の木下の娯楽路線の総仕上げというべきものだった。木下はついで「カルメン純情す」を作るが、これは単なる娯楽作品にとどまらず、社会的な視線を感じさせるものだった。

木下恵介の映画には、以後そうした社会的な視線が目立つようになる。「日本の悲劇」、「女の園」、「夕焼け雲」といった一連の作品がそれで、木下の前期の活動を代表する作品群だ。その合間に、日本の映画史に残る傑作「二十四の瞳」を作っている。これも単なるヒューマンドラマではなく、同時代の日本に対する鋭い批判意識に導かれた作品である。

1958年に作った「楢山節考」は、映画における実験に積極的だった木下恵介の実験的な精神がよくあらわれている作品である。歌舞伎や能を参考にしながら、様式的な画面作りや伝統音楽の活用を通じて、独特の映画美を表現した。その様式的な映画美は、姨捨というショッキングなテーマ設定と相俟って、独自の世界を作り上げている。「二十四の瞳」と並ぶ木下の代表作といえる。

後年の木下恵介は、「喜びも悲しみも幾年月」に代表されるようなメロドラマ的な作品を多く手掛けるようになる。これが、木下の作品はヒューマニズムの安売りだと批判される原因となったようだ。たしかにそうした作品には、あまり深い思想性は認められないが、映画というものは、思想性だけで成り立っているものではないので、それも一つの行き方だとは思う。ここではそんな木下恵介の代表的な作品を取り上げ、鑑賞しながら適宜解説・批評を加えたい。


木下恵介「花咲く港」:ペテン師の活躍を描く

木下恵介「陸軍」:息子の出征を見送る母


木下恵介「新釈四谷怪談」:田中絹代がが二役

木下恵介「カルメン故郷に帰る」:日本初のカラー映画

木下恵介「カルメン純情す」:カルメンの続編

木下恵介「日本の悲劇」:日本社会の矛盾と母子の断絶

木下恵介「女の園」:女性大生たちの闘い

木下恵介「二十四の瞳」:女教師と子供たちの触れ合い

木下恵介「夕やけ雲」:家族の犠牲になる子供たち

木下恵介「喜びも悲しみも幾歳月」:灯台守の夫婦の半生

木下恵介「楢山節考」:深沢七郎の小説を映画化

木下恵介「笛吹川」:深沢七郎の小説を映画化

木下恵介「永遠の人」:農村の身分差別


原恵一「始まりの道」:木下恵介の青春時代を描く



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