壺齋散人の 映画探検
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木下恵介「笛吹川」:深沢七郎の小説を映画化



木下恵介の映画「笛吹川」は「楢山節考」に続いて深沢七郎の小説を映画化したものである。「楢山節考」は、棄老をテーマにして、民衆の貧困と蒙昧を、第三者的な視点(演劇を見ている観客の視点といってよい)から描いたものだったが、この作品では、舞台を戦国時代に設定して、(観客ではなく)時代を生きる当事者(民衆)の目から見た世の中の愚かさが描かれている。

戦国時代における世の中とは、戦国大名が支配する世界であり、戦が日常的に行われている世界である。そんな世界に住んでいる民衆は、一方では戦争の被害者になったり、また、みずから志願して馴れない戦いに加わったりもする。どちらに転んでも、戦争に関わりあいながら生きていくしかない。しかし、戦とはそもそも何のために行われるのか。それを、よくよく考えると、世の中の愚かさが浮かび上がってくる。この映画は、そんな印象を与える作品である。

舞台は甲斐の国。笛吹川にかかる橋のたもとに住んでいる一族の四代(最後の孫の世代を含めると五代)にわたる興亡のようなものが、年代記風に語られる。彼らが生きている時代は、信虎、信玄、勝頼の治世下であって、武田氏が絶頂期を経て滅亡へと向かう時期であった。それゆえ、年がら年中戦が行われ、百姓たちは常に戦を意識しながら生きている。それは、一方では、戦を迷惑なものとする考えを生むとともに、他方では百姓たちに出世のチャンスとも受け取られる。この一族からも、戦に出て戦功を上げ、出世するものも出てくる。しかし、それは長続きしない。百姓は所詮百姓なのであり、似合うのは地を耕すことであって、人を殺すことではないのだ。

映画の主人公にあたるのは、この一族の三代目に当たる定平(田村高広)とその妻おけい(高峰秀子)である。定平の祖父は、自分の息子が戦に加わって出世することを願っていた。その願いに息子の一人が応えるが、もうひとりの息子は応えずに百姓に徹する。定平はその男(伯父にあたる)に育てられるのである。

祖父は、領主のめでたい儀式に怪我をして血を流し、神聖な場を汚したというので領主の怒りを買って殺されてしまう。定平の生みの母は、定平を兄弟にあずけて再婚するが、これも嫁ぎ先が領主の怒りを買ってもろともに殺されてしまう。こんな具合にこの一族は、領主からひどい目にあわされることが多いのだ。この映画では、ほかにも領主によって不条理な殺され方をするものが出てくる。領主もまた、子が親を追放したり兄が弟を殺したりする。そんな乱れた有様を、百姓たちは覚めた目で見ている。

おけいは15歳で嫁いできたということになっている。彼女は、ひとから「ちんば」といわれるように脚が悪い。しかし、そのことをハンデにせずに、心持も感心で、よく働く。なかなか子どもができなかったが、嫁いでから10年目にやっとさずかる。「ぼこ(子どものこと)」が欲しければ西の湯に浸かるがよいと聞き、わざわざ出かけていって、湯に浸かった成果があらわれたのであった。こうして彼女は四人の子の母となり、橋のほとりの小さなかやぶきの家で、一家六人むつましく暮らすのである。

ところが、その子供たちが成長すると、次々と志願して戦に加わるようになる。最初に長男が、定平の伯父にそそのかされて志願する。それを母親のおけいが止めようとするが、長男の意思は固い。ついで次男も長男にそそのかされて志願する。そればかりか、長女もまた長男の計らいで領主のもとに奉公することになる。そんな子どもたちが、母親は心配でならない。そこで、三男を遣わして、次男と長女を連れ戻そうとするが、三男もまた、長男にそそのかされて戦の陣営に加わってしまう。心配が頂点に達した母親は、自分自身で子どもたちを連れ戻しに赴く。そして子どもたちが加わっている行列に追いつくや、子どもたちひとりひとりにすがり付いて、一緒に帰ろうと懇願する。そのシーンが、この映画の最大の見所だ。

このシーンは、息子がいる出生兵士の行列を田中絹代演じる母親が追いかける、「陸軍」のあのシーンを思い出させる。「陸軍」の母親は思いを胸に秘めて何も言わなかったが、この映画の母親は、子どもたち一人一人に向かって、一緒に帰ろうと呼びかける。それに対して長男が、我々には先祖代々領主様のお世話になった恩があると言い返す。すると母親は、そんなことがあるものか、わたしたちはひどい目にあわされてきたばかりだ、と諭す。しかし、その言葉は子どもたちには届かない。

実は、この行列は負け戦の逃避行なのであった。最後の死に場を求めて天目山に向かう勝頼の一行で、行列には兵士のみならず、女や子どもも加わっている。子どもの中には、長男の子、つまりおけいの孫もいる。そんな子や孫と別れがたく、おけいは、孫の手をひきながらどこまでも行列についていく。一人だけ家に戻るわけにはいかないのだ。しかし、逃避行の途中で、一行は敵方に遭遇して戦となり、その混乱に巻き込まれて、おけいは孫とともに殺されてしまうのだ。子どもたちも、いずれ死ぬことになる。

こうしてたった一人ぽっちで取り残された定平が、笛吹川の水で米をといでいるところに、武田の軍旗が流れてくる。定平がそれをいまいましそうに放り投げるところで、この映画は終わるのである。

この映画にはほかに、いくつか見所がある。まず、映像処理だ。これはもともとモノクロフィルムで作られたが、そのフィルムのところどころに色彩処理を施して、画面の一部に色をつけてある。その色は、空の青であったり、草の緑であったり、人間の血の色であったりするわけだ。当時はこれを褒める批評家もいたようだが、筆者が見た限りでは、あまり成功しているとはいえない。むしろ白黒のままだったほうがよかったと思う。

また、前作の「楢山節考」に採用されていた演劇的な趣向が、この映画のなかでも一部取り入れられている。ひとつは、老婆の幽霊が出てきて、それが狂言回しのような役割をしている点だ。しかし、これも、つけたしのような感じがして、なかなかしっくりしていない気がする。

もうひとつは、謡曲を取り入れている点だ。宴会の場面で謡曲が流され、領主さまはこの謡曲がお気に入りだったと家来に言わせている。「勇者は懼れずの弥猛心の梓弓・・・今日の修羅の敵は誰そ、なに能登の守教経とや」とあるから、「八島」の一節だとわかる。「八島」はいうまでもなく勝ち修羅のひとつなので、武士にとっては演技のよい曲なのである。

この映画はまた、戦の場面が非常に多く出てくる。川中島の合戦、三方が原の戦い、長篠の戦い、高遠の合戦など、歴史に名高い合戦の場面もあるが、木下はそれらを、感情豊かに、あるいはダイナミックに描くようなことをしていない。感情を押し殺して淡々と描いている。ときには静止画面をつなぐような処理をしている。そうすることで、戦いの馬鹿らしさを浮かび上がらせようとしたのかもしれない。いかにも木下らしい演出だ。

この映画でも、高峰秀子の演技ぶりに、大いに感心させられた。なにしろ15歳の娘時代から、白髪の老婆までを演じて、不自然なところがまったくない。とりわけ、老婆となって子どもたちに追いすがるところは、なんともいえない哀れさを感じさせる。



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