壺齋散人の 映画探検
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野良犬:黒沢明の世界



刑事たちがこつこつと街の中を歩き回って地道に情報を集め、次第に犯人を追いつめていくという捜査もののサスペンスドラマというジャンルがあるが、黒沢明の映画「野良犬」は、日本映画史におけるその分野での嚆矢となった作品だ。これをひとつの手本にして、以後似たような筋書きの映画やテレビドラマが夥しく作られてきた。内田吐夢の「飢餓海峡」や野村芳太郎の「砂の器」は、その中の傑作と言ってよい。

このジャンルの殆どの作品は、既に発生した重大犯罪を前に、その解明に取り掛かる刑事たちの姿を描き出すという形をとっているが、この「野良犬」の場合には、バスの中で拳銃を盗まれた刑事が、その行方を追っているうちに、盗んだ犯人が自分の銃を使って重大事件を起こすということになっている点で、ちょっとひねってあるが、犯人を追いつめていくプロセスを描いているという点では、ほかの捜査ものと変わりはない。変っているのは時代背景や犯人像の相違くらいで、基本の筋は共通しているといってよい。

時代背景という点では、この映画が公開された1949年はいまだ戦争の傷跡が強く残っていた時点であり、街の至る所に闇市が息づいていた。この作品はそうした戦後の闇市の持っていたエネルギーのようなものをも映し出しており、その点で、先行する「素晴らしき日曜日」や「酔いどれ天使」とともに、戦後の闇市のドキュメントとしても貴重な価値を持っている。

また、犯人もそれを追いかける若い刑事も、戦場から復員した元兵士ということになっており、どちらも時代に翻弄されたある種の犠牲者であるとされている。それが刑事と犯罪者とに分かれて対立することになったのは、ふとした偶然によるもので、両者の立場が入れ替わっていたとしても不思議ではない。人間の運命などというものは、計り知れぬものだ。そんな悟りのようなメッセージも伝わってくる。

映画評論家の佐藤忠男によれば、黒沢はこの映画を構想するにあたって、アメリカ映画「裸の町」を参考にしたという。「裸の町」はそれまでの名探偵もののように、スーパーマンのようなヒーローが頭を使って問題を一気に解決するのではなく、実際の刑事たちが足を使って町中を歩き回り、丹念に情報を集めながら事件の解明を進めるというもので、その過程でニューヨークという街の姿を浮かび上がらせるというやり方をとっていた。黒沢もまた同じように、刑事たちを歩き回らせながら、戦後の東京の街の姿、それは闇市に象徴されるような姿であったわけだが、それを浮かび上がらせようとしたのだろう、というのだ。

主人公は三船敏郎演じる若い刑事村上。真夏の暑い一日、バスの中で拳銃をすられる。すぐに気付いた村上はそれらしき男を追いかけるが見失ってしまう。責任を感じた村上は上司に辞表を提出するが、上司はそれを破り捨て、犯人を捜し出すのが先決だと宣言する。日本的組織ではよくあるパターンだ。

こうして村上の犯人探しが始まる。仲間のアドバイスを受けながら、村上は犯人の手がかりを求めて東京中を歩き回る。まずは自分の銃を直接すったと思われる女すりの行方を追って下町を歩きまわり、つづいてその女すりのアドバイスを受け、拳銃密売ルートの手がかりを求めて闇市を歩き回る。この二つの場面を併せて16分になるが、これが或る意味この映画の圧巻である。とくに村上が復員服をきて闇市を歩き回るシーンは、圧倒的な迫力を以て戦後の東京の姿の一面をあぶりだす。その時代を知らない我々が見ても迫力を感じるこの場面は、当時の観客の心にも強く訴えるものがあったはずだ。

そのうち、盗まれた拳銃を使った発砲事件が発生する。そこでその事件を警視庁淀橋警察署(いまの新宿署)のベテラン刑事佐藤(志村喬)が担当することになるが、村上はその相棒として指名される。こうして村上個人の追跡から、二人による共同捜査へと発展していく。

佐藤はベテラン刑事として自分の仕事に誇りを持ち、ドライな考え方をもっている。捜査は事実だけに基づいて行い、余計な推測や感情は交えない。村上がさかんに盗まれた自分のコルトを話題に出して、自分の責任を云々するのに対し、佐藤は、コルトでなければブローニングでやっていたといい、余分な思い入れは無用だと村上を諭す。そんな佐藤を、村上は心から敬愛するようになる。男同志の友情、それも師弟愛のようなものを描くのは黒沢の癖のようなものだと言われているが、その癖がこの映画でも強く出ているわけである。

捜査は順調に進展し、いくつかの節目を迎える。最初の節目は拳銃密売ルートの摘発だ。密売の大物を突き止めた二人は、その男を追って後楽園球場にやって来る。球場では折から巨人~南海戦が行われており(当時は1リーグ制)、5万人もの大観衆で埋まっている。そこから一人の男を探し出すというのだから気の遠くなるような話だ。しかし二人は、球場の売り子の協力を得てその男の所在を突き止める。ところが、大観衆の中で大立回りを演じることはできない。そこで姦計を弄して男を外へ連れ出し、そこで無事逮捕する。その様子が心憎いほど淡々と描かれる。

やがて二人は、拳銃を奪った犯人の目星を突き止め、その男遊佐(木村功)を捉えるために、恋人の女ハルミ(淡路恵子)に接近する。ハルミは踊り子である。その踊り子たちの生態がクローズ・アップされる場面が出て来るが、楽屋で汗みどろになってもつれる女たちの姿がなんともすさまじい。

二人はハルミの家まで押しかけていくが、ハルミは男をかばってなかなか本当のことを教えない。しかし、男が盗んだ拳銃を使って二度も凶悪事件を起こしたこと、その券銃と言うのはもともと村上のものだったこと、などを知るに及び、次第に村上らに同情するようになる。

佐藤はついに遊佐の滞在先を突き止め、単身その場所(小さなホテル)に乗り込んでいく。折から激しく雨が降り出す。遊佐の滞在を確認した佐藤は、同僚や村上に電話で連絡しようとするが、ふとしたことで佐藤のことに感づいた遊佐が逃げ出そうとする。佐藤はすぐに遊佐を追いかけようとするが、拳銃で撃たれ、雨の中に倒れてしまう。ずぶぬれになって横たわる佐藤、顔は見えないが、全身から無念さが、雨煙のように漂ってくる。

佐藤が病院に運び込まれると、村上は佐藤のことを夢中になって心配する。そこへハルミがやってきて、遊佐と京王線の大原駅で待ち合わせしていると知らせる。さっそくその現場に駆け付けた村上は、遊佐の顔を知らないので、年齢や服装を手掛かりに人定めをするが、そのうちそれらしき男が突然逃げ出す。それを追って村上も走る。

だが、相手はまだ弾の入った拳銃を持っているのに、村上は丸腰だ。拳銃は佐藤に貸してしまっていたのだ。それでも村上は動じない。足をとめ、拳銃を構えた相手に丸腰のまま近づいていく。相手が撃った弾が村上の左腕を貫き、血が流れ出す。それでも村上はひるむ様子を見せない。そんな様子に驚いた遊佐は、すっかりどぎまぎして正確に銃を撃つことができず、弾は空を描く。こうして相手の銃が空になったことを確かめた村上は敢然として立ち向かい、ついに手錠をかけることに成功する。この辺の演出はちょっと人間わざとは思われないところもあるが、サスペンス映画だと思えば、あまり不都合にも感じない。

手柄をたてて汚名をそそいだ村上は警視総監賞をもらう。そんな村上を病床の佐藤が褒める。お前もそのうち立派な刑事になって、俺と同じくらいの数の賞状を貰えといいながら。

その姿は、まさに師弟の間の心あたたまる関係のように見える。黒沢がこの映画で本当に描きたかったのは、こうした理想的な姿の師弟愛だったのかもしれない。




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