壺齋散人の 映画探検
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影武者:黒沢明の世界



「影武者」は、黒沢明の映画の中で興行的に最も成功した作品だが、制作費用を調達するのに困難を極めたという。そこで黒沢を尊敬していたフランシス・フォード・コッポラ(ゴッド・ファーザーや地獄の黙示録のプロデューサー)とジョージ・ルーカス(スター・ウォーズなどのプロデューサー)から資金の提供を受けてようやく制作することが出来た。そんな因縁からこの作品は、始めから国際市場を意識して作られており、その意図があたって興行的に大成功を収めたわけである。

黒沢としては、歴史上の実在人物をモデルにした初めての作品である。といっても実在人物そのものが中心になっているわけではない。中心となっているのはその影武者なのである。影武者とは、当人に成り代わって行動し、当人の身に危険が及ぶことを回避することを役割とするものであるが、この映画の中の影武者は、既に死んで存在しない当人になりかわり、並み居る敵の眼を欺くことを役割とする特異な役柄である。

影武者が成り代わる当の本人とは武田信玄である。信玄は三河攻めの際に重病に陥り、甲斐に退却中死んだということになっているが、その際に、自分の死後三年間はその事実を秘匿せよとの遺言を残した、と「甲陽軍鑑」には記されている。黒沢はこの記事をネタにして、信玄の死後、遺臣たちがどのようにして信玄の遺言を守ったかについて、黒沢なりの解釈を映画の中に盛り込んだわけである。解釈の鍵となるのは影武者である。本人が生きているということを対外的に主張するためには、本人になりかわる影武者がどうしても必要になる。この映画は、その影武者の生きざまを描いたものなのである。

信玄とその影武者を仲代達矢が、信玄の弟信廉を山崎務が演じている。信廉は自分自身が信玄の影武者を何度もつとめたように、信玄とよく似ていると言われた。この映画の中でも、信玄と信廉は瓜二つと言ってよいほど似ている。仲代と山崎とは、体つきも顔だちも似ているところがあるのだろう。筆者などは、時折どちらが仲代でどちらが山崎なのか区別が出来なくなったこともあったくらいだ。

映画は三時間に及ぶ大作である。信廉が信玄に向かって新しい影武者の候補を推薦する場面から始まり、信玄が死んだ後影武者が採用され、その影武者が次第に自分の使命を自覚して精一杯演技するが、ついにはちょっとしたことで影武者であることを天下に知られてしまうところまで追いかけていく。その後影武者は用済みとなって追放され、武田家には暗雲が垂れ込めるようになる。そのあげく、ついには長篠の戦に敗れて滅亡していくわけであるが、その滅亡に影武者も殉ずるシーンを映し出すところで映画は終わる。

この映画の最大の見どころは、影武者がいかにして人々の眼を欺くかということにある。影武者の本性を知っているのは信廉や重臣などごく一部の者である。孫や側室たちにも知らされていない。そんななかで影武者は、自分が影武者であることを覚られないように努めねばならない。並大抵でない努力が必要になる。その努力は、見ようによっては喜劇的に映る。その喜劇性がこの映画の中のひとつの見どころだと言えるのだが、必ずしも喜劇的だという印象は強くない。仲代達矢という俳優が、喜劇性とは縁がないらしいのが原因かもしれない。当初この役柄には勝新太郎が起用されたと言うが、勝は黒沢と衝突して下りてしまったのだという。もし勝が影武者を演じていたら、喜劇性はもっと強く表れたかもしれない。

影武者が本性を見破られるきっかけになったのは、暴れ馬から落馬したことだった。驚いた側室たちが影武者を介抱しようと近づいた時に、本物の信玄の体にあるべき傷跡がなかったことを見とがめられ、側室たちが、これは信玄ではないと騒ぎ立てたのだ。暴れ馬から落馬したのは、影武者の慢心に理由があるが、その影武者を偽物だといって他愛もなく騒ぎ立てる側室たちの行動にも不自然さを感じる。

ともあれ、正体を天下に知られた影武者は用済みとなって追放される。しかし影武者は追放されてもなお恩義を忘れられないものの如く、武田家の様子を見守り続ける。そんな影武者の目の前で、武田家は滅亡への道を歩んでいくのである。

クライマックスはふたつの場面からなる。ひとつは高天神城の攻防、もうひとつは長篠の戦いだ。高天神城の攻防は、影武者がまだ正体を見破られる前に行われる。功をあせる勝頼が独断で高天神城を攻めた際に、信廉らも出陣して、勝頼の後方を固め、全軍の士気を高めようとする。その戦の中心に信玄の影武者が初めて立たされる。影武者は百姓のあがりだから、戦などとは縁のない生き方をしてきた。だから自分の周りで展開される戦が怖くてしようがない。そんな影武者を信廉が叱責して、大将らしくどんと動かずにいろと罵る。こうして、怖さをこらえてじっとしている影武者の眼の前で、壮絶な戦いが展開される。

その戦いの様子がひとつの見どころだ。戦いは夜中に繰り広げられる。したがって、その様子は暗闇に紛れてよくわからない。時たま影武者の周囲にいる近習たちが敵の弾にあたって倒れることで、戦いが激しいものだというメッセージが伝わってくるのみだ。こうした戦いの描き方は、時代劇としては珍しいやり方だといえる。

もうひとつのクライマックスである長篠の戦いの場面でも、戦いの描き方は変わっている。両軍が正面から向かい合い、武田方の騎馬が織田・徳川連合軍の鉄砲の嵐を前に次々と倒れていくといった勇ましい場面が展開するかと言えば、そうではない。人が戦いあう様子は一切描かれていない。描かれているのは、敵陣に向かって波状的に進撃していく武田側の軍勢の動きであり、その後での、屍の散らばる戦場の寒々とした光景のみだ。この寒々とした光景の中で、死にきれない兵士たちが身もだえ、馬たちが起き上がろうとして全身を痙攣させる。

この場面はかなり長く続く。兵士や馬の動きがスローモーションを見るような具合でゆっくりと展開していく。とくに馬の動きが興味深い。馬は立ち上がろうとしてなかなか立ち上がれず、むなしく首を振るのみなのであるが、その様子がいかにもリアルなのだ。馬に演技ができるとは思えないから、これは人間がそうさせているのだろうが、どうしたらこんな風に進むのか、よくわからない。その分からない感じが何とも不気味で、このシーンに独特の迫力を付与している。

こうした光景を通じて、武田方の戦ぶりがいかに無謀で芸のないものだったかが伝わってくる。実際、合戦を前にして重臣たちが負け戦を予感しあう場面が出て来るが、それは、大将の思慮のなさが軍を亡ぼすということを、下僚の身分として精一杯批判したものだと受け取れる。歴史上の評価においても、長篠の合戦における武田方の敗北は、世の動きを見損なって、つまらぬプライドにこだわった勝頼の狭量さに原因があったとされるが、この映画においても、黒沢は無能な指導者が国を亡ぼすというメッセージを、彼なりの流儀で訴えているのかもしれない。

ラストシーンは、戦場をうろついているところを敵方に撃たれて、傷ついた影武者が川辺で息絶え、水に流されていくところを映し出す。それがなんともいえず、世の無常さを表現しているように見える。影武者は主人として死ぬことはできなかったが、影としての役目は最後まで果したというかのように。

なお、この映画における人間関係は、当然のことながら権威的である。身分の差は絶対で、下僚は上司に対して無条件に服従しなければならない。日常の行動も身分の差をわきまえたものでなければならない。そういった封建的な身分秩序が、この映画の中では、細かいところまで徹底して表現されている。そんな身分秩序の中で、出自としては卑しい男が、身分上は尊大な人間の役割を演じるわけである。それはパラドックスといってよい。そのパラドックスの意外さが、この映画の最大の見どころであることは、いうまでもない。

(最後に、蛇足になるが、この映画では能と幸若舞が効果的に使われている。黒沢は能が好きだったと見えて、「蜘蛛巣城」では能の所作を全面的に取り入れ、映画全体を、能の舞台を見ているような具合に作っていた。この映画の中では、信玄の影武者が重臣たちと一緒に能を楽しむ場面がかなり長く描かれている。演じているのは、クレヂットによると観世流の浦田保利ということになっており、演目はどうも「田村」のようだ。これは勝修羅といって、武家の最も好んだ能の一つだ。この映画にはもっともふさわしいものと言えよう。幸若舞の方は、信長との因縁で有名になった例の「人間五十年」のさわり。これは「敦盛」の一節で、人間の命のはかなさを謡ったものであるが、それを、映画の中の信長自身が舞いながら謡う。だが、その様子は、幸若舞というより能の仕舞を思わせる。恐らくその演出に、幸若舞に詳しい者が加わっていないためだろう)




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