壺齋散人の 映画探検
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虎の尾を踏む男達:黒澤明



黒澤明の作品「虎の尾を踏む男達」は、敗戦の前後に作られたが、公開されたのは1952年だった。配給会社の東宝が、占領軍の検閲を憚って自主規制したのである。映画の内容が、封建的な主従関係を賛美しており、それが占領軍の逆鱗にふれることを恐れた会社側が、占領が解かれて日本が独立を回復するまで、この映画の公開を封印したというわけである。

映画は、能の人気番組「安宅」と、それを歌舞伎向けに脚色した「勧進帳」を下敷きにしている。これは、義経の都落ちをテーマにして、加賀の安宅関での出来事を描いたものだが、その際に主人の義経と弁慶以下の家来の人間関係が、封建的な主従関係そのものであって、それを映画が賛美していると受け取られかねなかった。そこを配給会社が憂慮して公開を見合わせたということらしい。

内容的にはほぼ「安宅」を踏まえたものになっている。一つ異なるのは、エノケン演じるところの強力を加えて、映画に笑いの要素を持ち込んだ点にある。そのおかげでこの映画は、原作の持つ重々しい雰囲気を和らげて、肩の凝らない作品になっている。

エノケンの軽快さに反比例するように、弁慶を演じた大河内伝次郎のほうは、原作以上に重々しい雰囲気を出している。また義経役は、原作では子役であるが、映画では歌舞伎の女形岩井半四郎が演じている。義経と言えば、小柄ながらも武勇を誇る荒武者というのが大方のイメージだが、能の世界では、この安宅に限らず、子役に演じさせることとなっているように、弱々しいイメージが定着している。その理由なり背景なりを詮索したら、興味深いテーマとなるだろう。

筋書きの展開も原作にほぼ忠実だ。だいたい冒頭からして「謡曲」の次第をそのまま取り入れている。「旅の衣は篠懸の、旅の衣は篠懸の露けき袖やしをるらん」というやつだ。謡曲は、こればかりでなく節目節目に取り入れられて、映画に色艶を添えている。

原作のハイライトとなる部分は、弁慶が架空の勧進帳を読み上げるところだが、映画でもその部分がクライマックスになっている。白紙の巻物が大写しにされて、勧進帳が実在しないことをクローズアップされるところは、映画ならではの工夫だろう。また、関守の富樫がその工夫を見破りつつ、一行を逃がしてやろうとするところも心憎く演出されている。原作では、富樫は善人としては描かれてはいないが、映画では善人になっているわけだ。その善人の富樫を藤田勇が演じているが、これは藤田としては、当たり役と言っていいだろう。

謡曲の詞書は義経主従を十二人としているが、舞台上に実際に出てくるのはせいぜい六・七人だ。映画も彼らのことを作り山伏七人としている。

最期に富樫の差し入れた酒で一行が小宴を催す。これは能ではそれまでに極度に高まっていた緊張を解きほぐすための細工なわけだが、映画ではその場面にエノケンの余興をさしはさむことで、コメディとしてのエンディングを演出しているわけだ。エノケンがここで演じるのは、安木節のどじょうすくいの仕草だ。エノケン得意のパフォーマンスである。

謡曲のキリの部分で、「関守の人々、暇申してさらばよとて、笈をおっ取り肩にうちかけ、虎の尾を踏み毒蛇の口を逃れたる心地して、陸奥の国へぞ下りつる」というふうに歌われる。この中にある「虎の尾を踏み」という文句に映画の題名が由来しているわけであろう。




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