壺齋散人の 映画探検
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静かなる決闘:黒澤明



黒澤明は、「すばらしき日曜日」や「野良犬」などで敗戦直後の庶民の日常を描いたことはあるが、そしてそれは戦争映画の偉大な達成という面を持っているのだが、戦争自体を正面から描いた作品は作っていない。1949年の映画「静かなる決闘」は、主人公が軍医ということもあって、戦争が一つのテーマになってはいるが、戦争自体を描くことが主題ではない。戦争中の出来事がきっかけで自分の人生に狂いが出てしまった男の悩みを描いたものだ。それ故戦争は物語のきっかけになってはいるが、戦争がなければ物語が始まらなかったというわけでもない。

三船敏郎演じる外科医が戦場の野戦病院で負傷兵の治療にあたっているさい、梅毒患者の血液が誤って自分の体内に侵入し、自分自身も梅毒に感染してしまう。そのため三船は復員後、婚約していた女性と結婚することもあきらめ、ひたすら禁欲の生活を送る。女性たちに梅毒を移すのが忍びないのだ。その禁欲ぶりがこの映画の主な見せどころなのだが、三船がなぜそこまで思い詰めて禁欲にまい進するのか、現代の観客には多少わかりにくいところがあろう。

梅毒という病気自体は、いまでは根治不可能な病気ではない、という事情もあるが、敗戦後の時期にだって、結婚をあきらめねばならぬほど深刻な病気だったかと言えばそうでもあるまい。たしかに女性に梅毒を移すのは罪深いことだが、そしてこの映画にはそうした罪深い男も出てくるのだが、こと三船についていえば、相手の女性との間で、もっと違った対応の仕方もあったのではないか。それなのに三船は、事情を話さないままに、女性を拒むのだ。女性は深く傷つけられて他の男との結婚を決意する。

三船がかたくなに自分自身の殻に閉じこもってしまったのは、潔癖な罪責感も働いているが、しかしそこまで自分を責めるというのは、尋常には映らない。三島が梅毒をもらったのは、素手で手術をするという過失を犯したためで、医療の常識通り手袋をはめていれば防げたことだった。それが重過失にあたるのかあたらないのか、小生には判断できないが、なにも自分の一生がそれで終わったと思うほどのことでもあるまい。やり直しはいくらもきくのではないか、そう思われるのだ。

それなのに三島は、自分には人並みに生きる資格がないと思い込んでいる。その背景には、梅毒と言うのは恥ずかしい病気で、それにかかるのは、とりわけ医者の場合には、嘲笑の対象になることはあっても、同情を引くことを期待できるものではない。したがって梅毒と言う十字架は自分一人で背負い続けねばならぬ、というような構えがこの映画からは伝わってくる。要するに梅毒患者は、事情は如何ようであれ、世の中のパリアなのだ。

題名の「静かなる決闘」というのは従って自分自身との闘いを意味する。その戦いの中で三船はいつも深刻そうな表情をしている。それを父親役の志村喬が心配そうな表情で見ている。志村の顔は、この映画を境に円熟味を増したのではないか。それまでの無頼漢的な印象がきれいになくなって、誠実そうな、いわゆる俳優志村喬の顔になっている。




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