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天国と地獄:黒澤明



黒澤明の1963年の映画「天国と地獄」はサスペンスドラマの大作である。黒沢は「野良犬」をサスペンスタッチで作ったが、この「天国と地獄」はそれを大がかりにしたもので、サスペンスドラマの命とも言える心理描写もきめ細かく、ストーリー展開も大胆で、長編ながらあっというまに見終わったかのような印象を与える。サスペンスドラマとしては、世界的な傑作といってよいのではないか。

「野良犬」との共通点はいろいろ指摘できる。野良犬が、奪われた拳銃を取り戻そうとする刑事の執念を描いているのに対して、こちらは、誘拐され(奪われ)た子どもを取り戻そうとする男の意地を描いている。また両者ともサスペンスドラマといいながら、早い段階で犯人像を観客に示している。したがって犯人探しの推理ドラマというよりは、犯人を追い求める男の執念を追った心理劇としての色彩が強い。

一方、最大の相違は時代背景の設定だ。「野良犬」は敗戦直後の東京の街が背景になっていて、その廃墟のような街を、手がかりをもとめて歩き回る刑事の姿が一つの時代の姿をくっきりと浮かび上がらせていた。その意味では、ドキュメンタリー的な意義を含んだ作品だったと言える。一方「天国と地獄」のほうは、高度成長が始まり、みんなが貧しかった時代から貧富の差がはびこる時代への結節点にあたる時代を背景にしている。題名の「天国と地獄」とは、富貴のものと貧者との対立をあらわしており、富貴に嫉妬した貧者の攻撃というのが映画のテーマだ。

黒沢本人としてはこのほかに、誘拐犯の処罰が軽いことにより、誘拐が手軽に行われている現状への警告をこの映画の中で示したいという意図もあったようだ。実際この映画がひとつのきっかけとなって、誘拐犯への世間の目が厳しくなり、その目を背景にして誘拐犯の刑罰が厳しくなったということもあった。だが、その前に、この映画に触発されたと思われる誘拐犯罪が多発したということもあり、この映画が皮肉にも誘拐犯罪を誘発したと評されもした。黒沢としては、複雑な気持ちになったことだろう。

もう一つ、この映画に黒沢が込めたのは、日本の資本家たちのえげつなさへの軽蔑だ。この映画の主人公(三船敏郎)自体は、正義感の塊のように描かれているが、実業家である彼を取り巻く連中、実業家仲間とか債権者とか資本家と言った連中を、名誉とか倫理とかいったものを侮蔑し、ひたすら金と権力を追求する亡者のような存在として描いている。この亡者たちの姿に黒沢は、日本の資本主義の醜悪さを代表させたつもりのようである。もっともその批判はややステロタイプに陥りがちではあるが。

三船敏郎演じる実業家は、靴職人から叩き上げて会社の重役になった男で、単に金儲けのためではなく、世の中のためになるものを作りたいという職人根性をもっている。その職人根性が、人間としての生き方にも影響し、自分の子どもと間違えられさらわれた他人の子どものために、自分の人生を犠牲にしようと決断する。その辺は、人間の意地というものに生涯こだわった黒沢の心意気が現れているのだろう。そしてその意地が報われずに、主人公は社会的には葬られる。そのかわりこの主人公は、自分の良心に恥じない生き方をしたという自己意識を保つことができた。

一方、子どもを誘拐して身代金を要求する犯人については、貧困にあえぐ自分の隣に富貴を見せびらかしている男がいるのが許せなくて、卑劣な犯行に及んだと言うことになっているが、人間というものは、そんな嫉妬のような感情から卑劣な犯罪に走るものなのか、ややわかりにくいところがある。映画のラストシーンは、死刑判決をうけたその男に、三船が刑務所のなかで面会する場面であるが、そこで男が三船へのルサンチマンをたらたらとまくしたてる。その話の内容がどうも薄っぺらで、人を納得させるものではない。だからこのシーンはなくもがなという印象を与える。おそらく三船を最後に登場させることで映画にしまりを付けたいという意図からなのだろうが。かえって散漫に流れたと言えるのではないか。

映画の中でただひとつ、画面に色のついた箇所が出てくる。犯人が札を入れていたカバンを焼却炉で焼いたことで、薬品が加熱されて赤い煙を出す。その煙の色がカラー画面として出てくるのだ。これは、フィルムに直接着色する技法を用いたもので、木下恵介も「笛吹川」のなかで使っている。当時の日本はまだ白黒映画が主流の時代で、このような中途半端なカラー技術が生き残っていたわけだ。

なおこの映画には、三船敏郎や志村喬を始めそれまでの黒澤映画に出てきた俳優が(山田五十鈴のような人を例外として)ほとんど出演しており、黒澤組の揃い踏みと言った観を呈している。




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