壺齋散人の 映画探検
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まあだだよ:黒澤明



1993年公開の映画「まあだだよ」は、内田百閒の晩年を描いた作品である。内田百閒といえば、漱石門下の文人で、戦時中には文学報国会への入会を拒絶するなど、気迫ある男として知られていた。その百閒の生き方に黒澤は共感したのだろう。この映画の百閒の描き方には、人間としての強い共感が込められている。

百閒は、周囲から先生と呼ばれているが、たしかに現実の百閒にも、士官学校とか法政大学の教員をした事実がある。この映画の中では、百閒は旧制中学校の教授を長くつとめていたことになっており、それが昭和18年に、百閒自身の都合でやめたという設定である。実際には、百閒は昭和9年に、法政大学の騒動に巻き込まれて、追放されている。

映画では、百閒は三十年以上も教師をつとめたおかげで、大勢の教え子に慕われていることになっている。その教え子の中から、四人の男たちが、なにかと先生のために働く。まず先生の住むところを斡旋するのだが、その住処は空襲で焼けてしまう。焼け出された先生は、狭い掘立小屋に妻と二人で住みつくのだが、さいわい戦争も終わり、老夫婦には穏やかな日常が訪れる。

四人の教え子たちが肝いりとなって、師の百閒を囲む同窓会をつくり、摩阿陀会と名づける。なかなか死にそうもない師に向かって、「まあだかい」と問いかけているつもりなのだ。それに対して死の百閒は、「まあだだよ」と答えるわけなのだ。その会場で、先生は巨大なジョッキに満々とたたえられたビールを一気に飲み、歌を披露すると、教え子たちがその歌にあわせて喝さいする。歌の文句には、「戦に負けて占領されて終戦などと馬鹿を言う」とか、「民主民主と言いながら威張るは悪い奴ばかり」といった、戦後日本を痛烈に批判したものがあった。百閒の人柄の一面をあらわした場面である。

戦後しばらくして、教え子たちは先生に立派な家をプレゼントする。先生の著作が売れて、いくぶんかの収入もあり、それに加えて教え子たちがカンパをしあって、資金を調達したのだ。うるわしい師弟愛というべきである。この映画は、その師弟愛の数々を描くことから成り立っているのである。さまざまなエピソードが語られるが、それらは百閒自身の随筆をもとにしたものらしい。とくに力を込めて描かれているのは、百閒の家に住みついた野良猫に、百閒が寄せる愛である。その愛は、子供がいないために、猫にそそがれるということになっているが、現実の百閒には子供が何人かいたのである。映画は、百閒自身の子どもを省いた代わりに、猫とか教え子の孫たちをその代用に登場させているわけだ。

百閒が77歳になると、喜寿の祝いを兼ねて摩阿陀会が開かれる。その席上先生は俄かに昏倒する。肝いりの教え子に家まで運ばれた先生は、布団のなかで夢を見る。その夢は子供時代の百閒先生がかくれんぼ遊びをしていて、姿を隠そうとする先生が、「まあだかい」との呼びかけに、「まあだだよ」と答える。そのうち、空が色づいてきたので、眺め上げると、空の彼方から何者かが下りてくるような予感がする。おそらく阿弥陀様が御迎えに来たのであろう、と観客に思わせながら映画は終るのである。もっとも実際の百閒は80歳を過ぎるまで生きた。

こんな具合にこの映画は、百閒と教え子たちの心のこもった交流を、情感を込めて描いている。映画の中の百閒の生き方は、日本人なら誰もがあこがれるものだ。それは、百閒の人柄もさることながら、かれを慕う教え子たちとの関係からもかもしだされる。大勢の教え子たちに慕われているからこそ、百閒は心豊かな老後を送ることができた。できたらそういう百閒の生き方に、自分もあやかりたい。そんなふうに黒澤自身も思っていたのではないか。とにかく、心温まる映画である。百閒を演じた松村達雄がよい。また、その妻を演じた香川京子の演技もよい。




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