壺齋散人の 映画探検
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溝口健二の世界「残菊物語」:女の意地を描く



「残菊物語」(1939年)は、「浪花女」(1940年)「芸道一代男」(1941年)とともに、溝口健二の「芸道三部作」と呼ばれている。後二者のフィルムは失われてしまったが、この三者に共通するのは、歌舞伎、文楽、舞踊といった伝統的な芸道の世界を舞台にして、封建的な秩序にぶつかったり跳ね返されたりしながら芸を磨き、ついにはその世界の第一人者と呼ばれるようになった男たちと、それを支えた女たちの生きざまを描いたところにあるという。

残菊物語の主人公は、五代目尾上菊五郎の養子菊之助と彼の恋女房お徳である。菊之助は周囲からちやほやされるのをいいことに、ろくな稽古もしないのでいつまでたっても大根役者から抜け出られなかったが、お徳の励ましで一念奮起する。菊之助はお徳と結ばれたいと思うのだが、封建的な社会のこと、お徳は邪悪な女たちによって迫害され、終には追い出されてしまう。ここから、菊之助の養父への反抗と、お徳ともどものドサまわりの暮しが始まり、それをお徳が支えるという話が展開してゆく。そして最期には、お徳の機転によって菊之助の芸の上達ぶりが養父たちにも認められ、芸能界で出世することができたのであるが、そのかわりにお徳は、菊之助と別れることを求められる。

これがこの作品の粗筋である。つまり、この作品は、一人の男のために自分の生涯を犠牲にして尽くした、一人の女の切ない物語なのである。

そんなわけで、この映画は当時も現在でも、男に尽くした女の美談を描いたメロドラマという評価が普及したわけなのだが、映画評論家の佐藤忠男は、それを表層的な見方だと批判して、この映画は単なるメロドラマではなく、女の意地を描いたものなのだといった。というのも、菊之助の新たな旅立を見送った後、お徳はかつて菊之助とともに睦ましく暮らしていた大阪の借間に戻っていくのだが、その際、その家の娘から菊之助はどうしたのかと聞かれ、「あんな男と一緒にいるのが面白くなくなったのよ」と答えるシーンを佐藤は引合いにだして、これは女の意地を現した言葉以外の何物でもない、というのである。

お徳からいわせれば、菊之助は自分だけでは何もできない情けない男だ、だからこれまで支えてあげてきたのだけれども、もうやっていられないわ、という気持があったのだろう。かといって、このまま別れてしまうのもつらい。そのつらさを紛らわすためには、多少の強がりもいわずにはいられない。そんな複雑な気持がお徳を依怙地にさせ、こんな言葉を吐かせた、そんな風にも思えるというわけである。

溝口はこの作品以前、男に踏みつけにされる女たちをもっぱら描いてきた。「浪華悲歌」では、父親や兄の苦境を救うために自分の体を売る女を描き、「祇園の姉妹」では、男を食い物にしようと思って、かえって男から手痛い目にあう女を描いた。それらの女たちは、女を人間として扱わない封建的な社会に対して敢然と立ち向かうのであったが、この「残菊物語」のお徳は、家柄が物を言う封建的な芸道の世界にあって、それに自分から立ち向かうのではなく、自分は弱い立場だということを表向きは演じながら、男に尽くすことを通じて女としての自分の意地を通すのである。意地をとおす女もまた、溝口にとっては強い女なのであり、日本の社会はこうした強い女たちがいることで、なんとか成り立っている。そんな日頃の思いを溝口は抱いていたのに違いないのであり、そのことを溝口は、この作品の中でもいいたかったのであろう。そんなふうに思われるのだ。

映画は歌舞伎の舞台を映し出すところから始まる。歌舞伎座の外観も映し出される。(これが実写だとすれば、震災後に建てられ昭和20年の空襲で焼けた戦前の建物である)。その建物の内部を、溝口独特のカメラ回しで映し出す。この映画は、ワンシーン・ワンショットを徹底した作品としても知られているところであり、溝口の映画手法を見るうえでも貴重な作品だ。

菊之助(花柳章太郎)はあいかわらず大根役者振りで、養父の菊五郎も気に入らない。だが、菊之助は自分の大根振りが良くわかっていない。それをわからしてくれたのは生まれたばかりの幼い弟の乳母をつとめるお徳という女だ。舞台が引けて家に戻る途中、菊之助は偶然お徳(森赫子)と出会い、自分の芸について率直な意見を聞かされる。それがもとで、菊之助はお徳に好意を持つようになる。しかし、その好意が周囲には恋心とうつり、菊之助はお徳にたぶらかされているという噂を立てられる。その噂を知った菊之助の養母は、お徳を一方的にクビにしてしまうのだ。

お徳は入谷の鬼子母神の界隈に住んでいるということになっており、そこに菊之助が会いにやって来る。画面には当時の鬼子母神が出て来たが、現在とはかなり様相を異にしていて、随分長閑な感じだ。日蓮宗の坊主たちが太鼓をたたいて歩き回るシーンが出てくるが、そこだけは現在と通じるものを感じさせる。

菊之助は養父に向かって、お徳と一緒にさせてくれと叫ぶが、養父の菊之助は許さない。そこで反抗心を起こした菊之助は、家を飛び出してしまう。大阪の親戚の一座を頼り、そこでお徳とやり直そうと考えるのだが、お徳は遠慮して東京に残り、菊之助一人が大阪へと旅立つ。

一年後、その大阪へお徳が菊之助を訪ねてくる。何故一年後なのかはわからないが、ともかく二人は晴れて夫婦の所帯を持つこととなる。所帯と言っても、小さな家での借間住いだ。往来から始終物売りの声が聞こえて来る、そんな陋巷の一角である。

だが、この暮しも長続きせず、頼りにしていた座長が死ぬと、菊之助は一座から追い出されてしまう。途方に暮れた菊之助は旅回りの一座に加わり、お徳と共に全国を放浪するようになる。

そうして4年後。旅回りのすさんだ暮しのため、菊之助の性格もすさんでくる。彼はその鬱憤をお徳に向かってぶちまけ、お徳に悲しい思いをさせるのだが、お徳の方はじっと耐えて菊之助の我儘を許している。そうこうするうち、この旅回りの一座も、座長が夜逃げしたことで解散と相なる。この際、一座のいる小屋に女相撲の一行が押しかけてきて、一座を小屋から追い出すシーンが出てくる。女力士たちはまるまると肥えて、すさまじい迫力を感じさせる。

二人はさらに落ちぶれ果てた挙句、名古屋に迷い込んでくる。二人が泊るのは、しがない木賃宿の、大部屋の一隅だ。

そこで、果報がもたらされる。菊之助の仲良しだった中村福助の一座が、巡業公演で名古屋に来ているというのだ。今更腰を曲げて頼るわけにはいかないという菊之助の言葉をよそに、お徳はひとりで福助を訪ね、菊之助の成長ぶりを話したうえで、是非もとの鞘におさまることができるよう、はからって欲しいと嘆願する。すると福助の叔父は、それには条件があると言い出す。お徳は、別れることでしょう、といって、自分にはその覚悟があると応える。歌舞伎の世界では、家柄が大事だと自分もわかりました。だから、菊之助のためには身をひく覚悟がありますというのである。

こうして、菊之助は福助の代わりに舞台に立ち、大成功を収める。そしてその成功がきっかけになって、菊五郎の許しも得られるようになる。

映画はここから、大団円にむけて一直線に進んでいく。ひとり大阪に戻り、かつて菊之助と二人で暮らしていた借間に戻ったお徳は、病気をこじらせて床に臥せるようになる。一方、菊之助は役者として大成功を収め、錦を飾るつもりで大阪へ繰り込んでくる。その大阪での舞台は鑑獅子。その演技の様子が延々と映し出される。

この映画の中で、歌舞伎の舞台を映し出すシーンが三つ出てくるが、どれもみな、延々とその流れを映し出している。この映画では、溝口はワンシーン・ワンショットにこだわっているのだが、歌舞伎シーンを映し出すところだけは、短いショットに分割している。動きを出すための工夫だろう。そのためか、歌舞伎には臨場感が生まれて迫力が伝わってくる。かなり長いシーンであるにもかかわらず、退屈を感じさせないのは、この動きのせいだろう。

最期に、病床に臥せっているお徳を菊之助が訪ねる。菊之助はやっと親爺の許しをもらってお前と夫婦になることができると伝える。それを聞いたお徳は、これからは気兼ねのない女房になるとができるのですね、といって心から喜ぶ。その上で菊之助に向かって、お客様への挨拶の儀式「フナノリコミ」を無事果すよう、現場に駆けつけなさいという。地元の御客への挨拶は、芸人にとっては、何事にも優先する大事なパフォーマンスなのだ。

そこで、菊之助がぐずっていると、お徳は、「わたしの言葉を素直に聞いてくれてもいいでしょう」と言って催促をする。その催促に背中を押されて、菊之助は船に乗り込む。その「フナノリコミ」の賑やかな音を聞きながら、お徳は静かに死んでいくのであった。

というのが、この映画の筋である。たしかに、お涙頂戴のメロドラマと言えなくはないが、これが単なるお涙頂戴でない所以は、上に述べたとおりである。



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