壺齋散人の 映画探検
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成瀬巳喜男の世界:映画の鑑賞と批評


成瀬巳喜男は、溝口健二、小津安二郎、黒沢明とならんで日本映画の四大巨匠などといわれ、いまや海外で高い評価を受けるようになっている。他の三人の巨匠たちがそれぞれ強烈な個性を映画に投影しているのに対し、成瀬巳喜男はどちらかというと抑制された映画作りを通じて、古い時代の日本人の、とりわけ女性たちの生きざまを描きだした。戦前には新派狂言を手掛け、戦後は女の生きざまをテーマにした映画を作ったので、経歴的には溝口健二と似たところがある。

溝口健二の場合には、男に食い物にされながらけなげに生きる女たちの意地を描いたわけだが、成瀬巳喜男も同じように女の生き方を描いたのだった。成瀬は溝口よりさらに踏み込んで、女の視点から日本人の生き方を描いたといってよい。このような作風の映画作家は、日本のみならず世界的にも珍しいといえる。そんなところにも成瀬が世界的に高く評価される所以がある。

成瀬巳喜男といえば、林芙美子の小説に題材をとった「浮雲」や「放浪記」といった作品に見られるように、文芸ものが多い印象がある。実際戦前の佳作「妻よ薔薇のように」などは、今ではメロドラマの部類に入るものだが、そうした文芸的な匂いのする作品が、成瀬巳喜男のもっとも得意とするものだったことは疑われない。

成瀬巳喜男には職人気質なところがあって、どの作品も手を抜かず、丁寧に作っている。しかも多作である。多作でありながら傑作ぞろいなのはたいしたことで、その点では佳作と駄作が共存している溝口健二とは異なる。しかしその成瀬も戦時中にはスランプに陥った。軍国主義の風潮に便乗して映画を作ることにためらいがあったからだと思う。成瀬が戦後本格的にすぐれた映画作りに取り組むのは、1951年の「めし」がきっかけであるとよくいわれるが、本サイトは、その半年前に公開された「銀座化粧」が戦後の成瀬の転換を期する作品と位置付けている。この作品は、銀座で生きるホステスたちをモチーフにしたものだ。これ以後成瀬は、芸者やホステスといったいわゆる泥水稼業に生きる女たちを好んで描くようになるので、そういう意味でも、「銀座化粧」が成瀬の戦後の出発点として位置付けられるものと考えている。

その成瀬巳喜男の最高傑作を一つあげろといわれれば、やはり「浮雲」になろうかと思う。この映画は、戦争を背景にして男女の切ない恋を描いたものだが、日本映画を代表する恋愛映画として、溝口の「近松物語」と並んで筆頭にあげるべき作品だと思う。一貫して女に寄り添い続けた成瀬としては、女の愛を美しく描くことこそが、もっともしっくりといくいき方だったと思われるのである。

「浮雲」の直前につくられた「晩菊」も、成瀬映画の一つのピークをなすものと言える。この作品は、元芸者たちの愛憎こもごもの人間模様を描いたものだ。とくに杉村春子の演技が圧倒的な迫力を感じさせる。杉村春子一世一代の名演技といってよい。ともあれ「浮雲」が成瀬の好きな文芸物の代表格とすれば、「晩菊」は、泥水稼業ものの傑作といえる。その泥水稼業ものの流れは、以後「流れる」、「女が階段を昇る時」へと繋がっていく。

女を描いた作品のほか、成瀬には社会的な視線を感じさせるものもある。戦前の作品では「働く一家」、戦後の作品では「乱れる」がその代表的なものであろう。また、「秋立ちぬ」のように、ヒューマニズムの原点を感じさせるような映画を作ってもいる。これは、それぞれ困難をかかえた小さな恋人たちの、かりそめの愛を描いたものだが、見る者をしてなんともやるせのない気持ちを感じさせるところは、「禁じられた遊び」に通じるものがある。成瀬はときたま「やるせなきお」とあだ名されることがあったというが、それは彼の映画が、見る者をしてやるせない気分にさせるからではないか。

溝口健二が田中絹代を多用したように、成瀬巳喜男は高峰秀子を多用した。かれらの関係は、「秀子の車掌さん」で思春期の女性を演じさせたことに始まり、「稲妻」以降は、成瀬映画になくてはならない存在となった。その高峰は、成瀬を公然と批判するなど、成瀬をあまりよく思っていなかったようだ。一方成瀬も、高峰のそういうところを気にいらなかったようである。にも関わらず高峰を多用したには、それなりの、言葉には言えぬ理由があるのだろう。

ともあれ成瀬巳喜男は、もっとも日本人らしさにこだわった映画作家だったといってよい。人は成瀬の映画を見ることで、かつての日本人の生き方を、濃密な情緒を味わいながら追体験できるのではないか。ここではそんな成瀬巳喜男の代表作を鑑賞しながら、適宜解説・批評を加えたい。


君と別れて:成瀬巳喜男

夜ごとの夢:成瀬巳喜男


妻よ薔薇のやうに:成瀬巳喜男

鶴八鶴次郎:成瀬巳喜男

はたらく一家:成瀬巳喜男

秀子の車掌さん:成瀬巳喜男

芝居道:成瀬巳喜男

銀座化粧:成瀬巳喜男の世界

めし:成瀬巳喜男の世界

おかあさん:成瀬巳喜男の世界

稲妻:成瀬巳喜男の世界

あにいもうと:成瀬巳喜男の世界

山の音:成瀬巳喜男の世界

晩菊:成瀬巳喜男の映画

浮雲:成瀬巳喜男の世界

流れる:成瀬巳喜男の世界

あらくれ:成瀬巳喜男の映画

杏っ子:成瀬巳喜男の映画

鰯雲:成瀬巳喜男の映画

女が階段を上る時:成瀬巳喜男の世界

娘・妻・母:成瀬巳喜男の映画

秋立ちぬ:成瀬巳喜男の世界

放浪記:成瀬巳喜男の世界

乱れる:成瀬巳喜男の世界

女の中にいる他人:成瀬巳喜男

ひき逃げ:成瀬巳喜男の世界

乱れ雲:成瀬巳喜男


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