壺齋散人の 映画探検 |
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「夜ごとの夢」は、「君と別れて」とともに成瀬巳喜男のサイレント映画の代表作だ。「君と別れて」は、芸者をしながら女手ひとりで息子を育てる母親と、ぐうたらな父親を持ったおかげで家族の犠牲になる若い女を、哀愁をこめて描いたが、この作品は、生活力のない男のために苦労させられる女を描く。終生女の生き方に拘った成瀬としては、ひとつの典型というべきものだ。 舞台は東京の下町だろうか、それとも船乗りが出てくるところからして横浜あたりだろうか、そこで女給をしている女(栗島すみ子)は小さな息子を育てながら、その成長だけが唯一の生きがいだ。そこへ、自分たちを捨てた男、子どもにとっては父親にあたる男が舞い戻ってくる。どうやら食いつぶれているらしい。この男に対して女は愛憎なかばの気持でいるが、結局焼けボックイに火がついて縒りを戻す。 男は更正して一家を幸せにしたいと願うが、なかなか仕事が見つからない。どうやら世の中が不景気で、手に職がないものには仕事は見つからないということらしい。それでも女は、男を責めることもなく、一緒に暮らしていたが、息子が交通事故で大怪我をして、治療のために大金が要る事態に追い込まれる。女はその金を、売春でかせごうとするが、その気配を覚った男が、金は自分で工面するから、もうそんなことはよせと言う。女はその言葉に感激するのだが、男は切羽詰って強盗を働く。そして怪我をして逃げてきたところを、女に事情を覚られ自首を勧められる。またもや切羽詰った男は、どう身の上を始末したらよいかわからなくなり、ついには海に飛び込んで自殺してしまうのだ。 こんなわけでこの映画は、ひとつには男のだらしなさを強調する一方、惚れた男のために辛い思いをする女の悲しみを描いているわけである。一見すると夫婦愛を描いているようにも見えるが、その愛は男女の間の対等の関係ではない。女が一方的に与えるという非対称的な関係だ。その点では、女が食い物にされることに拘った成瀬の傾向性のようなものが、やはり強く伺われる作品である。 女を演じた栗島すみ子は、戦前の日本映画を代表する大女優だと言う評判だ。一重でややはれぼったい瞼は決して美形とはいえないが、また妖艶な色気に富んでいるともいえないのだが、独特の雰囲気を漂わせて、圧倒的な存在感がある。この女優を見ていると、戦前までの日本人の美意識のようなものについて考えさせられる。戦前まではこんなタイプの女性が、「いい女」だとされたのだろう。彼女は戦後の成瀬の作品「流れる」に出てきて、料亭の女将を演じているが、それも古いタイプの日本の女を感じさせるものであった。 一方男を演じた斎藤達雄は、小津の「生まれてはみたけれど」にも出ているが、どちらも不甲斐ない男の典型みたいな印象を与える。「生まれては」の父親は子どもの前でかっこ悪いところを見せるのだが、この映画のなかの亭主は、ぐうたらで世間に頭が上がらない。第一、金がなくて強盗を働いたくらいで自殺していては、命がいくつあっても足りないだろう。 |
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