壺齋散人の 映画探検
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妻よ薔薇のやうに:成瀬巳喜男



「妻よ薔薇のやうに」(1935)は、成瀬巳喜男の戦前の代表作である。女を描くことを生涯のテーマとした成瀬は、この映画のなかでは妾を取り上げている。妾は、いまでこそ不道徳なものとして、妾をつくる男も、男の妾になる女も、白い目で見られるようになったが、戦後しばらくの間は妾を蓄える男たちはまだ沢山いたし、戦前では、妾を蓄えることは男の甲斐性などと言われて、かえってうらやむべきことのように受け取られていた。そんな戦前の時代の妾の位置のようなものについて取り上げたのが、成瀬のこの映画だった。

昭和の日本では、妾は不道徳な存在とは思われていなかったが、やはり大手を振って往来できるような存在でもなかった。妾を蓄えることは男の甲斐性として許されたが、それでも人前で妾を伴うことは憚られた。妾というものは、巷の一角の小さな家に囲われて、男の性欲が高まったときに、男を受け入れて発散させてやり、また、男が本宅では味わえぬくつろぎを与えてやることを期待された。つまりひっそりと暮らすのが妾の本分だったわけだ。伊藤博文のように何人もの妾をつくり、それを何憚らず世間の目に晒して得意がったのは、一昔前のことだ。成瀬の時代にはさすがに、そういうことは珍しくなっていた。

本妻と妾の関係は、無論本妻のほうが圧倒的に強く、妾はいつ捨てられても文句を言えない立場にあった。こういう妾の立場は、妾がある種の人身売買の対象であることに根ざしていたのではないか。

徳川時代に妾が普及したという記録はないようだ。少なくとも、おおっぴらに見せびらかすようなものではなかった。武士が妾を持つことは論外だったようだし、町人も自分で妾を蓄えるよりは、公認の遊郭で憂さ晴らしをするほうが安上がりだったし、気も楽だった。旦那が花魁を請け出して自分の妾にするということも行われてはいたらしいが、ケースとしては非常に稀であったようだ。

妾が本格的に増えるのは、明治維新以降、日本の近代化が進んで、金を持ったブルジョワ層が台頭した結果だったのではないか。それが次第に、下の層まで浸透してきた。いずれにしても、日本の妾制度は近代の産物だったといえるのではないか。そこには、金を持った男が、金の力に物を言わせて女を自由にする。女のほうでは、男の占有物となることで、自分の身をしのぐ。そんな関係が成り立っていた。

ところが成瀬がこの映画で描いたのは、こうした妾をめぐるステロタイプとはかなり違ったものだった。男は妾宅を置いてそこに妾を囲うというのではなく、妾と一緒に家出をして、信州あたりの田舎の町に暮らしている。妾との間には、二人の子どもまでいる。その上の子は、もう年頃の娘になっている。つまり、金にものを言わせて妾を囲うというのではなく、本宅を追い出されて妾のもとに転げ込んだというような感じである。戦前の感覚では、こういうのは妾とは言わなかっただろう。妾というより、本妻を捨てて恋を選んだ果報者とその愛人というふうに受け取られたのではないか。

本妻と妾の関係になれば、妾は圧倒的に弱い立場になる。ところが一人の男をめぐるライバル関係ということになれば、妾にも遠慮する筋合いはない。実際この映画では、男は一旦は本妻のもとに戻るのだが、最後には妾のいる家に帰ってゆくのである。

本妻と妾の間を架け橋するのが男が本妻に産ませた娘である。成人した娘は、母親のために男=父親を取り戻そうとする。わざわざ信州の田舎まで一人で出向いていって、父親を説得する一方、妾には喧嘩を吹っかけるのであるが、妾の人柄や、彼女と父親とのむつまじい仲を知るに及び、心が動揺する。妾が父親をたぶらかしたと思っていたのに、実はそうではなくて、父親が妾に追いすがった。しかも父親には生活能力もない。妾の働きに寄りかかっている。娘は父親から毎月の生活費を送金してもらっていたと思っていたが、実はその金も妾の働きから出ていたのだった。

随分ひどい話である。これでは妾は男に面倒を見てもらっているのではなく、男とその家族を丸がかえで面倒みていたということになる。これは妾のあり方ではなく、恋女房のあり方だ。この女はたまたま男の正妻になれないで、仕方なく妾の立場に甘んじている。それは女が男に惚れてしまった因果なのだ、というような感じが伝わってくる。これではいくらなんでも、妾は浮かばれないだろう。

道理で浮かばれないところを、成瀬は人情の上で浮かばせることで、精神の釣り合いを取ろうとした。つまり男に本妻ではなく妾を最後に選ばせることで、愛は打算よりも強し、という道徳的な要請に応えようとしたわけである。

この映画が作られた時代には、日本には特異な道徳がはびこっていて、妾といえども、男には誠心誠意尽くすべきだといわれていた。この映画の中の妾は、その手本になるような行動をとったわけだから、当時の日本人にはけなげな女だと映ったに違いない。一方成瀬がどんな気持からこんな女性像を描き出したのか、それは本人に聞いて見なければわからない。

娘役の千葉早智子が、当時のモダンガールを演じている。彼女は丸の内あたりのオフィスに勤めていて、帽子をかぶりながら仕事をし、家に帰ったあとではネクタイを締めながら家事に励むのだ。一方彼女と同年齢の妾の娘は、絣の着流しでかいがいしく働いている。なんとも不思議な思いをさせられる眺めだ。





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