壺齋散人の 映画探検
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秀子の車掌さん:成瀬巳喜男



「秀子の車掌さん」は、当時人気が盛り上がっていた十六歳の少女スター高峰秀子をフィーチャーした作品だ。いまならアイドル映画といったところだろう。それを成瀬巳喜男が監督した。女の生き方に拘った映画を作ってきた成瀬が、コメディタッチの少女映画を作ったわけだが、このときに成瀬は高峰が気に入ったのか、戦後大人になった高峰を起用して、日本映画の歴史を飾る一連の傑作を作った。成瀬と高峰のコンビは、小津と原節子、溝口と田中絹代のコンビと並んで、日本映画にとっては幸福な組み合わせだったといえよう。

映画の筋書きは単純なものだ。井伏鱒二の短編小説を下敷きにして、地方のバスのドライバーと車掌との心あたたまる生き方を描いている。ドライバーを演じたのは藤原釜足だが、この時のクレジットには藤原鶏太とある。藤原釜足は藤原氏の先祖である大織冠と同音なのが不敬だとして内務省からいちゃもんをつけられたために、鶏太(けえた=かえた)と改めた。同じ頃に活躍した徳川夢声のほうには、とくにお上のとがめだてがなかったというから、この時代には徳川は軽視され、藤原は重視されていたことがわかる。

舞台は甲府盆地。そこに甲北バスというのが走っている。なにしろバス一台で成り立っている零細企業で、客の入りが悪いと、従業員の給料が出ない。そこでなんとか客を増やしたいと考えた車掌の秀子(映画ではおこまさん)が、ドライバーの鶏太と語らって振興作を考える。その結果、観光バスのガイドのように名所案内をしようということになり、近くの温泉旅館に泊っていた作家の井川(原作者の井伏のことだろう)にお願いして、案内文の原稿を書いてもらったりする。こうしてハレの舞台に臨んだはいいが、バスが事故を起こして故障してしまう。それもなんとか克服して、やっと正常運転にこぎつけた頃には、社長がこのバスを僻地のバス会社に売り飛ばしてしまっていた。そんなことを知らぬ車掌とドライバーは、意気揚々として甲府盆地を走る、というのが大方の筋である。

甲府盆地のたたずまいが何とものどかに映る。そこを走るバスものどかなもので、客のなかにはバスをトラック代わりにして多くの荷物を運び、荷物の鶏に逃げられてしまうのもいるし、女学生の一団が浮き浮きしながら歌を歌う場面も出てくる。傑作なのは、車掌が自分の家の近くでバスを止めてもらって、母親にお土産を持って行ったりする場面だ。この当時は、これを公私混同だといって目くじらを立てるものがいなかったのだろう。

高峰秀子はこの時まだ十六歳の思春期だ。いまなら十六歳といえば子ども扱いだが、戦前は、もう立派な大人である。そのせいか、この映画のなかの高峰は大人っぽく見える。体つきも成熟した女を感じさせるし、声も張りがある。この女優は、声のいいのが最大のチャームポイントではないだろうか。





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