壺齋散人の 映画探検 |
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成瀬巳喜男の1954年の映画「晩菊」は、「山の音」と「浮雲」の間に挟まれた作品であり、「浮雲」以後に全開するいわゆる成瀬らしさが、フルスケールで見られる傑作である。成瀬らしさとは、要するに女の立場に寄り添って、女の目線から世界を見るような描き方のことをいう。この「晩菊」に出てくる女たちも、成瀬の他の映画の女たち同様けなげにしかも自分に忠実に生きている。そんな彼女たちに完全に寄り添う形で、彼女たちのけなげな生き様を修飾なしに淡々と描く。そこには中途半端な抒情性などはない。あるのは女たちの生き方の率直さである。その率直さが、多くの日本人の共感を呼ぶばかりか、欧米人にまで共感されるというのはどういうわけか。とにかく、この映画は、理屈なしに人を共感せしむるのである。 もと芸者上がりで、いまはそれぞれ堅気な生き方をしている数人の女たちの話である。話といってもドラマチックな要素はない。どこにもいるような人間のごくありふれた日常生活が淡々と描かれるだけである。それなのに観客は、この映画を見終えた途端に深い感情にとらわれる。なんとも言いようのない感情だ。それはおそらく、生きていることの切なさを、この映画の中の女たちとの間で、共有していることの現れなのかもしれない。 主人公は杉村春子演じる金貸しの中年女。金貸しの相手には、昔の芸者仲間が何人かいる。その仲間とは腐れ縁なのであろう。その腐れ縁を通じて、金に困った女が金を借りて当座をしのぎ、貸した女(杉村)は昔の仲間から利子を受け取るのだ。つまりどうにか共存の関係にあるわけだ。その共存の中で、杉村は圧倒的に有利な立場にある。杉村に金を借りている二人の元同輩は杉村に頭があがらないが、望月優子演じる女だけは、意地を張って杉村に対抗している。この四人の関係を中心にして映画は展開していのだ。 望月ともう一人の女はそれぞれ大きくなった子供がいて、その子供の心配をすることが唯一の生きがいだ。ほかに小料理屋をしている女がいるが、沢村貞子演じるこの女は、この映画の中では一人だけまともな感覚の持ち主だ。もっともまともでないのは杉村で、彼女は金をためること以外に何の楽しみもない。時折昔の男たちが訪ねて来る。そのうち体裁の悪い男は玄関払いしてしまう。上原謙演じる男は昔、杉村が惚れた男で、いまでも顔を見たいのだが、いざ顔を出されて金を無心されると、惚れ心はたちまちしぼんでしまう。杉村にとっては、金こそが本物の愛人であって、それを自分からむしり取ろうとするものは、強盗のようなものなのだ。 そんな具合に杉村を中心にして、ドライな人間関係が描かれていく。その関係はたしかにドライなのだが、腐れ縁も縁には違いないとばかり、その縁にまつわるかたちで、さまざまな愛憎劇が繰り広げられる。その愛憎劇に観客は人間の業のようなものをみて、そこに共感するというわけであろう。 見どころはいくつもある。杉村に関しては、人間不信を公言するなかにも、昔惚れた男が手紙をくれると、心がメロメロに解けてしまうところ。その杉村の心が溶けているところは、彼女が顔に映った自分の顔に微笑みかけるところに現れる。こういうシーンを見ると、昔の日本の女たちの典型を見せられているように感じる。また、細川ちか子演じる女が、一人息子との間にかわす仕草は、これもまた昔の日本女の子どもへのかかわりの典型を見せられたように感じる。 この映画に出てくる女たちの中で一番元気なのは望月優子だ。彼女は道端で若い女がモンローウォークで歩いているのを見て、自分もそのまねをして尻を大きく振りながら歩いて見せる。その格好は無論色気とは縁がないが、それでも大笑いしないではいられないほどインパクトがある。 インパクトといえば、ラストシーンが実に感動的だ。杉村が上原と別れた後、自分の気分の落ち込みを埋めるように不動産の出し物を見に出かけるシーンだ。それまで端役でしかなかった加藤大介が杉村をエスコートしていくのであるが、その加藤と並んで歩く杉村の後姿が実に雄弁に彼女の気持ちを語っているのである。成瀬は印象的なラストシーンが得意で、「浮雲」では高峰秀子が悲しそうな笑顔を向けてくるし、「放浪記」では少女時代の主人公が両親とともに放浪するところを思い出すシーンが出てくる。どれも人の心に訴えかけてくる名シーンである。 成瀬は又、画面相互の繋ぎ方がうまい。この映画では、杉村が中心の場面と望月らが出てくる場面が交互に映し出されるのだが、ある画面から別の画面への移動が、同じような雰囲気のシーンを重ね合わせるように繋ぐので、実にスムースに流れるのだ。成瀬といえばチンドン屋が好きで、この映画の中でも出てくる。そのチンドン屋だけは、ほかの画面から孤立していて、チンドン屋を見せることだけに心がけているといった風情である。そうした景色を通じて、成瀬は時代の流れを感じさせてもくれるのである。 |
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