壺齋散人の 映画探検
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娘・妻・母:成瀬巳喜男の映画



成瀬巳喜男の1960年の映画「娘・妻・母」は、中流家庭の家族関係を描いた作品。成瀬といえば、貧困に喘ぎながら生きる女たちを描くといった印象がつよく、事実中流家庭を描いた作品は少ないのであるが、この作品は、ある時期の日本の典型的な中流家庭を描いている。いまでは核家族化が進むところまで進んで、大家族はあまりみかけなくなってしまったが、この映画が作られた1960年ごろは、まだ多世帯型で成員の多い家族が普通に見れらた。この映画の中の家族は、老母を頂点にして、長男とその妻子、出戻りの長女、二女とその夫、次男とその妻、および三女である。そのうち、長男夫婦が母親と同居し、出戻りの長女が居候をしているという設定になっている。

五人の兄弟たちの関係は非常にドライである。そのドライさは、財産相続の話題をめぐって露骨な形をとる。投資に失敗した長男が、借金の抵当に入れた家屋を投げ出さなけらばならない事態に陥ると、売った代金の一部をめぐって分捕り合戦が繰り広げられる。その一方で、誰も母親の面倒を引き受けることは嫌がるのである。また、長女が夫にかけていた保険金をめぐっても醜い駆け引きがおきる。大した額でもないその金を、長男や二女が狙うのである。人のよい長女は、金を貸してくれといわれると断れない。それにかぎらず、原節子演じるこの長女は、なにごとにつけても優柔不断で、愛想笑いばかりしているのだ。その愛想笑いを見ていると、この女性はなんでも笑ってごまかすタイプなのだと思ったりする。

しかし長女には気のやさしいところがある。彼女は母親の老い先が気になって、母親とセットという条件で、金持ちの男に嫁入りする決心をするのだ。彼女にはほかに若い男がいて、できたらその男に抱かれたいのだが、母親のことを思うと、自分が犠牲にならねばと考えるのだ。しかし、親付きで嫁入りなど、昨今の常識では考えられない。たしかモンゴル人を描いた映画に、前の夫をつれて新しい夫に嫁入りする話があったが、母親を連れて嫁入りするという話は、ほとんど例がないのではないか。

森雅之演じる長男は、ただの会社員だが、妻の伯父に多額の投資をしている。その投資が焦げ付いて家屋を手放す羽目になるのだ。その妻を高峰秀子が演じている。クレジット上は、原節子が主演になっていて、高峰は脇役扱いである。実際原の出番のほうが多い。しかし高峰の存在感も大きい。そのほか、二女を草笛光子、次男を宝田明、その妻を淡路恵子、三女を団玲子、母親を三益愛子が演じている。また、杉村春子、上原謙、仲代達也、笠智衆といった俳優が出てきて、さながら人気スターオールキャストの観を呈している。おそらく当時大家と言われた成瀬の人望によるのだろう。これだけ大勢人気スターが出てきながら、それぞれ存在感を示しているのはさすがである。

映画の最大のメッセージは、「人間万事金の世の中」といったもので、全編金にまつわる事柄であふれている。そういうところを見せられると、日本人のいくじなさと人間関係の冷たさを思い知らされる。冷酷な現実は、成瀬にとっては、金持ちも貧乏人も違わないとうことか。

この映画の中の三益愛子演じる母屋は、還暦のお祝いをしてもらったりするが、赤いちゃんちゃんこを着せられたその表情は八十過ぎの老婆のように見える。また、杉村春子演じる老女は、三益より多少年長だが、これも六十代で養老院に入ったりする。もっともそれは、嫁への当てつけだったが。いすれにしてもこのころには、六十を過ぎると立派な年寄りだったわけである。人生百年といわれる現在の日本では、六十歳といえばまだまだ働き盛りとみなされる。

なお、成瀬のこの作品が、家族の崩壊をテーマにした小津の映画「東京物語」を強く意識していることはミエミエだ。その証拠に、東京物語のヒロインを演じた原節子を主役に据え、端役とはいえ笠智衆を登場させている。「東京物語」の原節子がいつも愛想笑いをしていたように、この映画の中の原節子も愛想笑いに徹している。あたかも日本の女には、愛想笑いこそ固有の美徳だというかのように。




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