壺齋散人の 映画探検
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父ありき:小津安二郎の世界



「父ありき」は親子関係のひとつのあり方を描いている点で「一人息子」とよく似ている。「一人息子」では母子関係であったものが、この映画では父子関係になっている。どちらも親一人子一人の関係だ。そしてどちらもたった一人の息子のために、自分のすべてを犠牲にして、それを怪しまない親の生き方を描いている。その挙句、母親は息子が期待したほど出世できなかったことに、裏切られたような無念さを感じる一方、息子が気持ちのやさしい人間に育ったことに深い満足も感じる。父親の方は、息子が期待通りに育ったことに満足する一方、その気持ちが優柔なことを叱責するのである。こうしてみれば、この二つの作品は、面白い対照をなしているのがわかる。

父(笠智衆)と子は金沢の町で暮らしている。父親は中学校の教員をしているが、修学旅行の最中に教え子が事故死した責任を取って辞職し、父子ともども郷里の信州に里帰りする。しかし、息子が中学校に入学し、寄宿生活に入るにあたって、父親は東京へ出て働く決心をする。この先子どもに立派な教育を施すためには、もう一働きをする必要があるのだ。こうして父子はそれぞれが分かれ分かれの生活をすることになる。その別れに先立って父子は渓流で並んで釣り糸を垂れる。そのシーンがこの映画の大きな見どころになっている。

父子は渓流に足を入れて横に並び、着物の裾を腰まで上げながら、渓流にむかって釣り糸を放る。水をとらえた釣り糸は、流れに従って移動し、やがてピンと張りつめたかと思うや、再び流れの上の方へと放られる。釣り糸は新たな移動の動きを描く。この動きを、父と子が寸分違わぬ正確さでともに行うのである。それは父親を自分の鑑として内面化した子どもの信頼のシンボルでもあり、また子を導く父親のやさしさのシンボルであるようにも感じられる。

この場面が象徴するように、この映画における父親は、子を深く愛し慈しむ慈父として描かれているのであるが、また厳父としての側面をも有している。厳父としての父親は、父との別れに不安を訴える息子を叱咤激励し、また、成人した息子に対しても説教を垂れるのである。その説教の場面がまた大きな見どころになっている。

成人した息子(佐野周二)が父親に向かって、今の生活をやめて父親と共に東京で暮らしたいと言い出す。息子は仙台の帝国大学を出て秋田の中学校の教師になっているのだが、それをやめて東京で仕事を探したいというのである。これまで分かれ分かれで暮らしてきたが、自分の理想はお父さんと一緒に暮らすことです、と息子が言うのを前に、父親は長い説教をするのである。その説教とはひとことでいえば、己が分をわきまえよということであった。どんな職業についても、それに不満を持たず、己の天職として励みなさい。どんな事情があったからと言って途中で放り出すのはよくない。ましてお前の場合には教師と言う立派な職業についているではないか、文句をいわずに努めるのが人間として当たり前のことなのだ。こう説教されて、息子は一言の反論もできず、ただうつむいたばかりなのである。

この場面を、当時の日本の社会状況と関連付けて、小津安二郎が戦争遂行という国策に追随したシンボルだと評する向きもあった。当時の若者たちはみな、お国のために身を挺し、自分の個人的な都合などは後回しにしていたのであるから、たかだか父親と同居したいという願望から職を擲つなどは、女々しい態度というべきである。そうした女々しい態度は徹底的に排斥されねばならない。この場面にはそんな意図が込められている、というわけなのである。

だがこの映画を虚心に見れば、そんな意図は露骨には伝わってこない。息子の徴兵の話など、戦争の影を感じさせるエピソードは出てくるが、戦争が表立って話題になることはない。むしろ戦争を全く感じさせないほどに、淡々とした日常生活が描かれているのである。昭和18年と言う時点を考えれば、これは実に意味深長なものを感じさせる。

話を多少元に戻そう。成人した息子と父親が鄙びた温泉で再開した場面で、二人がまた渓流釣りをするシーンがある。映像の構図は前の時と全く変わっていない。変ったのは息子が逞しく成人しているのと、父親が老いたことである。その父子が全く同じ動きを反復する。その反復がこの映画のリズムカルな流れを象徴しているようにも映る。小津映画の特徴のひとつに反復というものがあげられるが、この映画はその反復を最も効果的に使っているといえる。

さて、クライマックスに近いところで、父親はかつて同僚だった友人の娘を息子の嫁にと進める。息子は素直に受け入れる。その直後に父親は脳溢血で倒れ、そのまま死んでしまうのであるが、臨終のベッドを訪れた友人の娘に向かって、息子をよろしくお願いしますという。娘はそれを受け入れる。こうして二人が結ばれることを確認してから、父親は静かに死んでいくのである。

ラストシーンは、結婚したばかりの二人が、亡くなった父親の遺骨を抱えて、列車で秋田に向かうというものである。この列車の中で息子は「いい親父だった」と回想し、また妻の父親を秋田に招こうと申し出る。しかし、息子には徴兵が待っており、この先無事新婚の家庭を営めるのか、保証があるわけではないのである。にもかかわらず二人は、そんな戦争の影など感じていないかのように、自分たちの未来に思いを馳せるのである。そのあたりをさりげなく描くところが、小津映画の真骨頂だといえなくもない。




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