壺齋散人の 映画探検
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彼岸花:小津安二郎の世界



小津安二郎は「彼岸花」で、「晩春」と「麦秋」に続き父と娘の関係を取り上げた。それもかなり違った角度から。「晩春」では父親の意向に従って結婚する従順な娘が、「麦秋」では父や兄の意向に逆らってまで自分の気持ちを押し通す強い女性が描かれていた。この映画では、娘は親たちの知らない間に恋人を作る。親には相談もしない。結婚は当事者たちの自由な合意に基づくことなのだ。しかし昔気質の父親たちには、そんなことは受け入れられない。そこで、父親は娘に対して激怒し、かつうろたえるということになる。そんな場面を描いたところから、この映画はコミックな雰囲気をたたえた作品になっている。

佐分利信演じる父親は、友人の笠智衆から、娘が勝手に男を作って出て行ってしまったことについて相談を持ちかけられ、それを他人ごとと受け取りながら話を聞くのであるが、突然そうもいっていられなくなる。見知らぬ男がいきなり現れて、自分の娘と結婚させてくれというのである。

父親には、娘(有馬稲子)を他の男と見合いさせる心づもりがあったのが、自分の知らないところで勝手に恋人を作っていたことが我慢ならない。この父親にとっては、娘という者は、親のいいつけどおりに嫁いでいくのが当たり前なのだ。そこで父親は、娘を自分のいいなりにさせようとして、高圧的に出るのであるが、なかなか思うようにならない。ならないどころか、事態は自分の意図するところとは反対の方向へと進んでいくかのように見える。そこで父親はうろたえる。

一方、母親(田中絹代)の方は基本的には娘の味方である。母親は娘の恋人を一目見て気に入ってしまい、この男なら娘を幸福にしてくれると直感するのだ。そこで、娘を応援しようとして夫と対立する。その対立の場面が迫力に満ちている。交互にアップで映し出される夫と妻とが、画面のこちら側に向かって丁々発止と言い合う。夫は妻をなじり、妻は夫の横暴を非難するというわけである。

状況をドラスティックに変えるのは、娘(有馬稲子)の仲良しの友達(山本富士子)である。友達はトリックを仕組んで父親に娘の結婚を承知させようと謀る。自分には好きな男がいるにもかかわらず、母親から他の男との結婚を強要されて非常に困っている、どうしたらいいのでしょうか、そういって佐分利信にもちかけるのだ。すると佐分利信はすっかり山本富士子の味方を気取り、母親のいうことなど無視して自分の思いどおりにするがよいと答える。それを聞いた山本富士子は、ではおじさんも娘の結婚をゆるしてあげなさいといって、せまるのである。

この映画の中の山本富士子はコミカルな役柄が良く似合っている。彼女は対立する父娘の間に立ってトリックスターの役を果たす。彼女は佐分利信に向かって、自分がしていることはトリックだと種明かしするのであるが、トリックとはとりもなおさずトリックスターの行いなのである。

こうして佐分利信は父親としての封建的なプライドが次第に崩されていくのを感じるのであるが、この映画には、同じような父親がもうひとり登場する。笠智衆だ。笠智衆の娘(久我美子)は父親の反対を押し切って家出をし、勝手に結婚してしまったのだったが、その娘の様子がどうなっているか、父親の笠智衆は気になってしょうがない。そこで佐分利信に、娘の様子を確認して欲しいと頼むのであるが、頼まれた佐分利信のほうは、久我美子から話をきくうちに、次第に彼女に同情するようになる。それはとりもなおさず、自分自身と娘との関係を反省させるきっかけにもなるわけだ。

こうして佐分利信は、次第に娘の結婚を許す気持ちに傾いていくのであるが、自分の口からはなかなかそうは言えない。口先では相変わらず、絶対許さないと言いつづけるのである。

そうこうしているうちに、とうとう娘の結婚を公然と許す仕儀にあい至る。しかし、それでもなお、自分は結婚式には出ないなどといってダダをこねる。最後まで家族や周辺をやきもきさせるのである。

ここまでもめにもめた娘の結婚であるが、その結婚式の様子は映画の中には出てこない。娘たちは結婚式を済ませたあと、新婚旅行を兼ねて男の新しい赴任先である広島に行ったということが暗示されるだけである。そのうえで場面はいきなり佐分利信の中学時代の同窓会へと飛ぶ。蒲郡の旅館で開かれているというその同窓会の場面で、今や父親となった男たちが、自分たちの子どものことを語り合う。多くは愚痴である。佐分利信の口はあいかわらず重い。笠智衆がみなに囃されて詩吟を披露する。

蒲郡まで来たついでに、佐分利信は京都に足を延ばし、山本富士子の母娘が住んでいる家をたずねる。そこで佐分利信は、広島まで足を延ばすように山本富士子たちからそそのかされる。佐分利信はその言葉に背中を押されるようにして、広島に向かう。映画は広島に向かう汽車を映し出すところで終わるのである。こんなわけでこの映画にも、列車が大道具として有効に使われている。そういえば出だしのシーンにも東京駅での列車の発着状況が映し出されていた。その光景は映画の筋とはほとんどかかわりをもっていないから、小津は自分の趣味をそこにふいと取り入れたのでもあろう。ことほどさように、彼の鉄道への執着にはただならないものがある。

趣味といえば、小津はこの映画の中で、自分自身の色彩感覚を丁寧に展開して見せたところが伺える。この作品は小津にとっての初めてのカラー映画なのだが、小津はその画面を単に色がついているというだけでは納得せず、色彩の配置にとことんこだわった様子がみられるのである。例えば暖色と寒色の取り合わせ、赤や黄色といった原色を多用すること、などである。そういう点では、小津は色彩の芸術家でもある。

小津の趣味は、映画の舞台となったいくつかの家屋の内部にも反映されている。それらは純日本風の造りで、縁側越しに小さな庭も見える。築地の料理屋らしい一室は、山本富士子がトリックを展開する舞台となるが、その部屋の暖かな感じは一昔前の日本家屋のもっていた人間的なやさしさを感じさせる。そしてその部屋からは聖路加病院の塔やら、その向こうには本願寺のユニークな姿が映し出されていた。今日ではこんな眺めを楽しめる空間はどこを探しても見当たらないであろう。

田中絹代の演技もよかった。とくに、娘の幸福のために亭主と論争するところなどは、迫力に富んでいた。その母親が、戦時中を振り返って防空壕に逃げた思い出を語る場面がある。田中絹代は、親子そろって防空壕に逃げたことを、親子の繋がりをしみじみと確認できたとして肯定的に評価するのである。それに対して佐分利信の方は、戦争などどこにもいいことはなかったと突き放した見方を披露する。いずれにしても、この映画の中での戦争は、もはや追憶の中だけでの遠い昔の出来事だったというふうに、いわば抽象化されたものになっている。




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