壺齋散人の 映画探検
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浮草物語:小津安二郎



「浮草物語」は、小津の戦前のサイレント映画の傑作である。山田洋二が松竹 蒲田製作所へのオマージュとして作った「キネマの天地」では、蒲田の歴史を彩る名作として、映画のストーリーの中に組み込まれていた。そこでは日本の映画の青春期を代表するような扱いだったが、たしかにこの映画にはそんなところがある。

小津はこの映画が自分でも気に入っていたと見えて、戦後も殆ど同じストーリーで「浮草」を作った。戦後バージョンの「浮草」は、名優中村鴈次郎と京マチ子の演技が冴えていて、全編なんともいえぬ色気を感じるが、戦前版もなかなか捨てがたい。筆者はまず戦後版のほうを見たのだったが、両者を比較すると、トーキーとサイレント、カラーと白黒という違いはあるが、筋書きはほとんど同じだし、映画の雰囲気も非常によく似ている。

座長に坂本武、その女に八雲理恵子が扮している。八雲は小津の映画では「東京の合唱」の妻役を演じていて、どちらかというとしとやかな雰囲気なのだが、この映画の中では、気の強い渡世人を演じている。彼女が坂本と雨の中で罵りあう場面、ラストシーンで坂本と和解する場面などは、なかなかの迫力で、京マチ子の演技に劣らない。坂本も、鴈次郎とは違った持ち味で、観客をうならせるものがある。

戦後版との違いも無論ある。そのもっとも大きなところは、座長の描き方だ。戦後版では、鴈次郎演じる座長は、自分勝手であまりいいところのない男として描かれたが、この映画の中で坂本演じる座長は、一座に対して責任ある態度をとる男として描かれているだけではなく、自分が捨てた妻子に対しても最後まで義理をかかぬ男らしい男として描かれている。

飯田蝶子演じる元女房が、昔のよりを戻して親子三人仲良く暮らそうよ、と持ちかけるところなどは、あたかもそれが人倫にかなったことだというふうな描き方だ。これは男に甘い描き方だと言ってよい。やはり時代がそうさせたのだろう。戦後バージョンでも同じようなことを言わせたら、小津は封建意識が抜けきらぬといって批判されただろう。

女の描き方にも微妙な違いがある。妹分をけしかけて座長の息子を誘惑させた八雲が、そのことで座長の恨みをかい、散々打擲された後で、自分から和解を申し出る場面があるが、その際に女がつぎのようなことを言う。「これで五分五分じゃないか、私の身にもなっておくれよ」と。この女は、男からコケにされて黙っていられない、だから自分の受けた分に見合う苦しみを男にも味あわせてやる、そうしてお互い五分五分になったところで、これまでのいきさつは水に流し、改めて仲良くなろうと呼びかけているのだが、女のこういう態度は、いじけの現われといえなくもなく、戦前の女だからこそ見られるので、戦後にはこんなことをいう女はいなくなった。小津の二つのバージョンの比較からは、そんなことが浮かび上がってくる。

もう一人の女である妹分の言葉にも時代を感じさせるものがある。この女は座長の息子を誘惑するうちに自分で好きになってしまうのだが、自分には堅気の男を好きになる資格がない、と思っている。座長は座長で、自分には親爺を名乗る資格がないと始終言っているのだが、この女も自分には人を愛する資格がないと口にする。こういう口の利き方は、今の世の中では見られないもので、やはり戦前の封建的な人間関係が色濃く反映されていると見るべきなのだろう。

ラストシーンは、和解した座長と女が上諏訪に向かう列車のなかで杯をかわすシーンだ。戦後版では、京マチ子が鴈次郎に酌をするところばかりが映されるが、この映画では坂本と八雲が杯のやり取りをする。彼らにとって杯のやり取りは、単に酒を飲む仕草にとどまらず、互いの絆を確かめ合うという意味も持っている。そんなふうに伝わってくる。

なお、この映画は、いわゆる小津映画らしさの確立されたものと位置づけることが出来る。ローアングルを生かしたカメラワークだとか、長回しのロングショットなど技法的にもそうだし、映画の雰囲気もそのように感じられる。もっとも、モンタージュ手法も多用されているので、過渡的な作品と言えなくもない。





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