壺齋散人の 映画探検
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東京の宿:小津安二郎



小津安二郎は、社会的な視線を感じさせる映画はあまり作らなかったが、それでも戦前にはいくつかそういう作品がある。1935年に作った「東京の宿」はその代表的なものであろう。これは不況が吹き荒れていた当時の世相を踏まえて、宿無しになった父子を描いたものだ。宿無しは子連れの父親だけではない、子連れの女まで宿を失って途方に暮れている。そんな女に半分同情から、半分は恋心から、父親が金を作ってやろうと思い強盗を働くという、なんとも切ない話だ。小津のことだから、そうした切なさを露骨には表さずに、男の恋心に焦点を当てながら、ほんのりと描く。傑作とはいえないまでも、なかなか見ごたえのある映画だ。

1935年といえば、世界恐慌の波がおさまらず、日本は不景気にあえいでいた。だから仕事にあぶれるものも多くいた。そうした不景気風が、日本を海外侵略に駆り立てた原動力の一つになったことは否めない。2.26事件が起きるのは翌年の1936年、日中戦争が本格化するのは1937年だ。この映画には、そうした戦争の影はさしていないが、世の中はいろいろな面で殺気立っていたのだろう。子供を抱えたものが、寝る場所もなくさ迷い歩くというのは、まともな社会のあり方ではない。小津は昭和十年ごろの日本の社会の異様さを、宿無しを通じて描いたつもりなのだろう。「東京の宿」というのはだから、きわめて皮肉な題名といえる。

坂本武演じる父親が、二人の子どもを連れて職探しに歩いている。東京の砂町あたりの工場地帯だ。しかしどの工場も人手が足りていて雇ってはくれない。彼らには宿がないので、夜は木賃宿に寝る。その木賃宿に、小さな女の子を連れた女(岡田嘉子)が寝に来る。この母子には工場地帯でも出会い、子供同士を通じて仲良くなる。いよいよ金の無くなった父親は子供たちに向かって、今晩は飯を食って野宿するか、あるいは飯を食わないで木賃宿に泊るか、どちらかを選べという。飯を食わないではいられないので、彼らは一膳飯屋で飯を食う。その代金が、丼もの三つで三十銭だ。「出来ごころ」の中で息子が小遣いに貰ったのは五十銭だったが、それは今の金の価値にして千四百円ぐらいの計算だったから、丼もの三つで三十銭とはえらく安い(一杯分十銭=二百八十円だ)。

野宿しようと思っていたところあいにく雨が降り出す。途方にくれる三人だが、そこに救世主が現れる。昔なじみの女将(飯田蝶子)が、彼らの飯を食った店を経営していて、宿無しの彼らに手を差し伸べ、あまつさえ男のために仕事を見つけてくれるのだ。

こうして生活に見通しのついた男は、いまだにその日暮しの女に同情する。その女の子供が疫痢にかかって病院に入院してしまう。入院費用の支払いに困っている女に、男は同情する。そこで女将に金の無心をするが断られてしまう。いままでさんざん女将に借金して踏み倒してきたからだ。切羽詰った男は強盗を働き、その金を子供に持たせて、女のもとにとどけさせる。その後男は警察署に出頭するのだが、その彼の後ろ姿を写しながら、「そしてひとつのたましひがすくはれました」というメッセージが現れて映画は終わるのである。

こういう具合に、話の内容としては非常に暗いのだが、あまり暗い気分にならないのは、子どもたちの存在があるためだろう。男には二人の子どもがいて、その子供の間でさまざまな子供らしいやり取りがあるのに加え、それに女の子も加わってかなりにぎやかな展開がある。そのために暗い話がそんなに暗く見えないのだ。それに加えて、男の女に対する恋心が働いて、恋愛心理も介在するので、見ているほうとしては、暗さを感じずにすむ。

この映画の中の岡田嘉子は、色気とは無縁だが、美しさは感じさせる。彼女はこの時三十を少し過ぎたばかりで、色気の盛りだったわけだが、母親を演じたせいか、芯の強いなかにもしとやかさを感じさせる。彼女が杉本良吉と一緒に日本を脱出するのはこの映画の二年後のことだが、それも彼女の芯の強さを物語っている。ともあれ彼女は、演技は決してうまいとはいえないが、独特の風情がある。

一方飯田蝶子のほうは、いつもながらお人よしの女がよく似合っている。この時点で彼女はまだ三十台だったが、すでに大年増の雰囲気を感じさせる。こういう女優はなかなか得がたい存在だ。

坂本武はこれで「出来ごころ」以来三作連続して小津映画の主役を勤めたわけだ。どの作品のなかでも喜八という名前で出てくるが、役柄相互に何のつながりもない。それは、戦後の一連小津作品の中で原節子が演じたのり子という女に何のつながりもないのと同じだ。小津には、自分の作品の登場人物に同じ名前をつける趣味があったようだ。





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