壺齋散人の 映画探検
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吉村公三郎「安城家の舞踏会」:ハイカラなメロドラマ



吉村公三郎は、ハイカラな感じのする、いわば洋風のメロドラマを作り続けた作家だったが、戦後の映画作りの実質的なスタートを飾った「安城家の舞踏会」もやはりハイカラなメロドラマといってよかった。吉村の映画には、社会的な関心を感じさせるものはほとんどないのだが、この作品は例外で、やはり時代の雰囲気を色濃く感じさせる。作られたのが戦後まもない1947年だから無理もない。この戦後の混乱のただなかで、吉村が描いたのは、旧華族階級に属する一家の没落だ。吉村は、日本の上流階級を描くのが好きだったので、その対象となった階級が戦争で没落したとあっては、それに対する吉村なりの感慨を、作品のなかに持ち込まずにはいられなかったということだろう。

敗戦の結果、GHQによる民主化措置の一環として華族制度が廃止された。これによって華族は旧来の特権を失ったわけだが、それが即経済的な没落につながったわけではない。ところがこの映画の中の華族は、特権を失っただけではなく、経済的な基盤も失った。その結果家屋敷を手放さねばならない事態に陥っている。精神的には華族としてのプライドを傷つけられ、経済的には生活が立ち行かなくなる、そんな惨めな一家への吉村の視線はかなり複雑に見える。

この映画は、巨額の借金のために邸を手放さねばならなくなった華族の一家が、邸を手放す前に最後の贅沢として派手な舞踏会を催す、その様子を描いたものである。一家の長である父親を滝沢修、その娘を原節子、息子を森雅之が演じている。滝沢演じる華族は、使用人から「殿様」と呼ばれている。おそらく徳川時代の大名の流れなのだろう。その殿様が、巨額の借金の返済を迫られている。殿様は借金の相手が昔下僚だったこともあって、帳消しにしてもらおうなどと虫のよい考えを持っているが、無論そんな考えが通るわけはない。一方、殿様のもう一人の娘に、昔この家の運転手を勤めていた男が恋慕する。このもと運転手は、いまでは事業に成功して大金持ちになっており、その財力にものを言わせてこの邸を買い取ろうと申し出る。あわよくばそれによって、愛する女の関心を買おうというのだが、女のほうでは、身分の差に拘り続けて、相手にしない。

一方原節子のほうは、この運転手に家を売りたいと考えている。父親が借金の相手に卑屈な姿勢を示しているのが我慢できなくて、そんな男に頭を下げるよりは、運転手に邸を買ってもらい、その金で借金を返したほうが気持ちがすっきりする、と思っているからだ。

こういう状況を背景にして、舞踏会が開かれる。映画はこの舞踏会を舞台として繰り広げられる人間模様を追って展開するというわけである。借金の相手が娘を伴って舞踏会に現れる。その男に父親が返済の帳消しを懇願するが、拒絶された挙句に侮辱され、逆上して相手を射殺しようとまでする。それを見ていた息子は、借金取りの娘を誘惑して侮辱し、溜飲を下げる。舞踏会には、父親の妾が現れて一同の顰蹙を買ったり、もと運転手が現れて恋しい人を追いかけまわすというシーンもある。その挙句に、原節子が運転手に邸を売って得た金の札束を、大勢の見ている前で借金相手に突き返すというおまけまでつく。

それにしても、原節子が札束を両手に持ち切れないほど抱えて現れ、それを憎い仇に突き出すシーンは異様な感じがする。この映画の中の原節子は、小津映画におけるような、あのしとやかな雰囲気とは無縁で、いかにも戦う女といった精悍な雰囲気をかもし出している。彼女は、この前年に黒澤の「わが青春に悔いなし」で、芯の強い、新しいタイプの女性を演じているが、この映画の中の女性は、芯が強いというのを乗り越えて、ほとんど飛んでいるといった感じだ。その原節子が最後のシーンで父親の滝沢修とダンスを踊るところが、やはり飛んでる女のイメージだ。彼女は身長が165センチもあり、当時の女性としては非常に大柄だったので、滝沢ともつれ合って踊るところなどは、どちらがリードしているかわからぬほどの迫力だ。

華族の一家の言葉遣いがまたくどくどしい。「暖流」においても吉村は、高峰三枝子らにえらく馬鹿丁寧な言葉をしゃべらせていたが、この映画の中の言葉遣いはそれ以上と言える。娘が父親に向かって「お父様」というのはよいが、言われた父親が自分のことを「お父様」というのはどうしたものか。当時の華族の家では、こんな会話が普通だったのか、それとも吉村が大げさに仕立てたのか。

原節子は、父親に対しては、「ご辛抱あそばせ」などと馬鹿丁寧な言葉遣いをする一方、昔の使用人だった男をいまだに呼び捨てにする。古い身分意識がまだ抜け切っていないのである。そういう古いタイプの人間を描くときに、吉村がどのような気持を込めていたか、興味深いところもある。

この映画の中では、古い時代の身分差別が廃止されて人間はみんな平等になったというメッセージが幾度と無く発せられる一方で、いつまでも身分意識から抜け出せない人々の振る舞いが描かれている。そうした点では、戦後日本社会の過渡期の特徴がよく見て取れるといってよい。

ラストシーンで、鎌倉と思われる海岸が出てくるのは「暖流」と同じ趣向だ。吉村は鎌倉の海が好きだったのだろう。



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