壺齋散人の 映画探検
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五所平之助「伊豆の踊子」:恋心に目覚めた思春期の女性



川端康成の短編小説「伊豆の踊子」は、手ごろな青春物語ということもあって、何度も映画化されてきた。五所平之助が1933年に作った映画は、その走りとなったものである。五所は、映画評論家の佐藤忠男によれば、若い男女の恋を描いた所謂青春ものを得意としていたようだから、川端のこの小説は、自分の趣味にあったのだろう。といっても、彼はこの小説の内容をそのまま忠実に映画化したわけではない。一高生が伊豆で見かけた旅芸人の一座の若い女にひかれたという枠組を借りただけのことで、筋書に共通するところはほとんどなく、全く別物といってもよい。

原作は、一高生が伊豆をハイキングしているときに見かけた旅芸人の一座の若い娘に性的な興味を覚え、その娘とセックスしてみたいと夢想するようになったところ、偶然娘の入浴シーンを目撃し、その娘がまだ幼い子どもだったということがわかって、がっかりするという、ただそれだけの話である。たいした筋はない。娘が真っ裸の姿をさらしながら自分に向かって手を振っている姿を見て、一高生ががっかりする、その心の動きを描いたところがハイライトだ。だから、そのまま映画にしても、あまり面白い映画にはならない。五所はそう考えて、原作に大胆な着色を施したのだと思われる。

川端が原作を公表したのは1927年のことで、五所によって映画化されるまで6年がたっていた。それまで、文学作品が映画化されることはほとんどなかったので、この映画化のプランはエポックメーキングなことだったわけである。それについて原作者の意向がどれほど考慮されたか、興味深いところである。川端としては、自分の作品が原作だとうたわれているのに、内容的にはほとんど関係がないようなものになっている。おそらく喜ばなかったに違いない。だがその当時にはいろいろな事情があって、原作者の意向が尊重されることはあまりなかったのかもしれない。

ともあれ五所は、原作を映画化するにあたって、若者と若い娘との恋物語に仕立てた。若い娘は、原作にあるようなまだ幼い少女ではなく、恋心に目覚めた思春期の女性である。その娘が、旅先で出会った若い男に恋心を抱くが、いろいろな事情に妨げられて、その恋が成就することはない。要するに若い娘の悲恋物語ということにしている。こうすることで、物語にメロドラマの要素を持ち込み、そのことで大衆受けをねらったのだろう。正式な題名が「恋の花咲く伊豆の踊子」になっているのは、その意図の現われだろう。

原作では、旅芸人に対する差別意識と、それを踏まえた男女の間の身分格差が表現されているが、映画はこうした要素を増幅した形で取り入れている。原作では、「物乞いと旅芸人立ち入るべからず」と書かれた標識が最後近くになって何気ない形で出てくるが、映画ではそれを冒頭に登場させ、旅芸人たちが厳しい差別の対象だということを明示した上で物語を始めている。一高生と旅芸人のかかわりは、差別・迫害されている芸人たちを一高生が救ったことがきっかけで始まっている。

映画のその後の展開も、一高生が旅芸人たちを迫害から守ってやろうとする気持、その気持は無論娘に対する彼の好意から出てくるのであるが、そうした気持の空回りというようなものをめぐって展開してゆく。そのハイライトとなるのが、娘が伊豆の温泉の旅館の亭主から強奪されると思い込んだ一高生が、亭主に談判に行って、かえって亭主に説得されてしまう場面だ。亭主がいうには、自分は娘の両親と懇意にしていたこともあり、娘の行く末を案じていた。ゆくゆくは息子の嫁にもと思い、それでいまのうちから手元に引き取ろうと思っていたというのだ。その言葉を聞いた一高生は、自分が誤解していたことを恥じ、娘の幸せのためには自分は身を引いたほうがよいと思うようになる。こうして娘から去ってゆく一高生に対して、未練を捨てきれない娘が悲しい顔をして見送る、というようなことになっている。

これは無論原作とは関係が無く、五所のでっちあげというべきものなのだが、こうすることでこの映画は、メロドラマとして観客の涙も期待できるほどの出来栄えになっているわけである。

この映画の魅力の一つは田中絹代の演技にある。この映画に出たときの田中は、すでに二十三・四になっていたが、それが思春期の若い女性をみずみずしく演じていた。振袖姿で飛び回る彼女の姿は、まるで年端のいかない少女の感じをよく出している。もっとも、遠くからはそう見えても、顔を大写しにされると、やはりそれなりの年輪を感じさせはする。この映画の中の田中絹代の顔は、大人とも子どもともいえない、なんともいえない中途半端さを感じさせて、それ自体が人の興味を煽り立てる。

舞台になった温泉は、修善寺温泉のようだ。川が流れていて、それに沿って多くの旅館が並んでいる。そこにやって来た旅芸人の一座は、原作どおりに伊豆大島の者ということになっているが、娘の両親が、この温泉の旅館の亭主と懇意であったと言われたり、また周囲から金鉱脈が発見され、それをめぐって山師らが暗躍するなど、原作とはまったく関係のないプロットがあてはめられている。それがまた、映画の筋としても中途半端で、途中からなんとなく立ち消えになってしまうという具合に、この映画にはかなり大雑把なところがある。

なお、この映画は1933年に作られたにかかわらず、サイレントである。1933年と言えば、日本でもトーキーが主流になってきたときだが、あえてサイレントにしたのか、それとも予算の都合だったのか。だが、サイレントのおかげで、田中絹代の身体演技がかえってキビキビと見えるところはある。



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