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島耕二「風の又三郎」:宮沢賢治の童話を映画化



童話「風の又三郎」は、宮沢賢治の死の翌年(1934年)に刊行された。これは草野心平の努力による賢治全集刊行の一環としてなされたことで、この全集によって、生前無名に近かった賢治は一躍注目を浴びた。中でも「風の又三郎」は賢治の童話を代表するものとして、多くの日本人に受け入れられた。島耕二はこの童話を1940年に映画化したが、この映画によって「風の又三郎」人気にさらに拍車がかかったといわれている。映画評論家の佐藤忠男は、この映画が「風の又三郎」を世に知らしめたというような言い方をしているが、映画が童話を有名にしたのか、童話の人気の高さが映画化を促したのか、筆者には判断がつかない。

映画は、筋書きも雰囲気も原作をほぼ忠実に再現している。一部細かいところに相違はあるが、原作から大きく逸脱しているわけではない。だからこの映画を見れば、「風の又三郎」がどのような話なのか、一応わかるように作られている。

原作では、突然現れた異物としての又三郎と土地の子どもたちとが葛藤を繰り返しながら次第に打ち解けあってゆくさまが描かれるのだが、映画もそのへんのプロセスを破綻なく表現している。又三郎と土地の子どもたちが触れ合う場面として、原作では競馬のシーンと風の功罪をめぐる子どもたちの言い合いがハイライトになっているが、映画でもそこの部分に焦点が当てられている。競馬のシーンの延長で、迷子になった子どもが又三郎のイメージを幻想に見るシーンなどは、映画ならではの迫力を感じさせる。ガラスのように透明な衣装をまとった又三郎が、まるでさなぎのように見える。

映画としてもっとも印象深いのは、子どもたちが川で遊ぶシーンだ。裸になって水遊びをしていた子どもたちが、やがて輪になって合唱を始める。「どっどどどどうどどどうどどどう」で始まる不思議な感じの歌だ。子どもたちはこの歌が嵐を呼ぶものと信じている。はたして彼らがこの歌を歌うと俄に雲行きが怪しくなり、突然大嵐がやってくる。すっかりこわくなった子どもたちは一目散に家へ向かって逃げてゆく、というものだ。裸で輪をつくり声を張り上げて歌う子どもたちの表情が、映画ならではの迫力をもって迫ってくる。もっとも、映画のなかで歌われたメロディが、いまひとつパンチに欠けるといった印象を否めないのだが。

島耕二は、他に「次郎物語」を作っており、子どもを主人公にした抒情的な雰囲気の映画が得意という印象があるが、彼の子供向け映画はこの二本だけである。その点は、もっぱら子どもの世界ばかりを描き続けた清水宏とは違う。



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