壺齋散人の 映画探検
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男はつらいよ奮闘篇:寅さんシリーズ第七作



「男はつらいよ奮闘篇」は寅さんシリーズ第七作、公開は1971年4月。寅次郎の母親が第二作目以来久々に登場し、母子の葛藤が描かれる。一方、静岡で出会った一人の娘に寅次郎が同情して色々世話を焼くうちに、次第に恋慕の情が深まっていくというような内容である。その娘は青森から静岡の工場に集団就職してきたのだったが、多少知恵遅れなところがあって、集団生活になじめず、工場から逃げてきたところを寅次郎に保護されたのであった。

というわけで、まず母親との葛藤が描かれる。母親は一年前に息子からもらったはがきを読んで、息子が結婚したと思い込み、嫁の顔を見たさに上京したのだが、そんな母親を寅次郎はさんざんののしる。母親は怒って東京を去るが、息子の幸せを祈り続けるのである。

一方、知恵遅れ気味の娘(榊原ルミ)は、寅次郎に青森方面への汽車に乗せられた後、しばらくして柴又の虎屋を訪ね、そこで寅次郎の計らいにより、寄宿させてもらうことになる。寅次郎自ら娘の就職を世話したりするのだが、娘が嫌な思いをするのではないかと気をもみ、折角の就職話を自らぶち壊したりする。そのあげく、虎屋の店の手伝いなどしているうちに、青森から保護者を名乗る者が出現して娘を連れ去る。それを知って寅次郎は大いに悲しみ、行方を追って青森まで行くのである。その寅次郎を、妹のさくらが追っていく。失恋のショックで自殺するのではないかと心配なのだ。

こんなわけで、寅次郎としてはめずらしく、恋が進展するのだが、その相手が知恵遅れとして描かれ、そもそもまともな恋が成立するはずがないという前提で描かれているから、見ているものとしては、やや肩透かしなところがある。寅次郎自身が常軌を逸しているのに、その相手が知恵遅れとあっては、まともなカップルのできようはずがない、という偏見みたいなものが、この映画の底流にあるように思わせられる。したがってこの映画は、障碍者への露骨な差別意識を煽るところがあるのではないか。その差別意識を、静岡のラーメン屋を演じた落語家の柳家こさんが露骨に表現している。こさんは、自分自身そう思っているのかどうか、かなり露骨に障碍者を侮蔑している。

その障碍者の娘が集団就職で都会に出てきたという設定にからんで、映画の冒頭では、集団で列車に乗り都会に向かう若者たちの姿が映し出される。当時、そうした風景は貧しい地方とくに東北によく見られたものだ。男女の別れを歌った流行歌が大ヒットしたのも、集団就職した人々の心情を代弁していたからだと言われたものだ。

寅次郎を案ずる妹のさくらの真剣な表情が、この映画のもっとも見せる場面かもしれない。なお、ミヤコ蝶々演じる母親は、これが最後の登場となった。


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