壺齋散人の 映画探検
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アッバス・キアロスタミ:映画の解説と批評


イラン映画は1980年代後半以降国際的な注目を集めるようになるが、そのきっけかを作ったのはアッバス・キアロスタミだ。1987年に作った「友だちのうちはどこ」で国際的な注目を浴び、続く「そして人生は続く」や「オリーブの林を抜けて」といった作品で、国際的な名声を確立した。そのキアロスタミの名声にあずかるかたちで、イランからは何人もの映画監督が現れて、イラン映画を国際的に認知させてきた。

「友だちのうちはどこ」は、子供を主人公にした映画だが、アッバス・キアロスタミはそれ以前にも子供を主人公にした映画を作っている。たとえば「トラベラー」だ。また、「友だち」以降にも、子供を主人公にした映画を度々作っている。これは、ある種の検閲対策だと言われている。イランでは、特に1979年の革命以降、文芸作品への検閲が強まったが、その検閲をのがれるために、子供を主人公にした映画を作ったという面は指摘できる。

「友だちのうちはどこ」は、学校の宿題をめぐって、子供の友情をテーマにしたものだったが、つづく「そして人生は続く」は、「友だち」の舞台となった村がイラン地震で破壊されたことを受けて、キアロスタミが自分の子供を連れて様子を見に行くという設定になっていた。また、「オリーブの林を抜けて」も、地震で破壊された同じ村が舞台だが、こちらはイラン人の若い男女の結婚にまつわる話である。これらの映画を通じてキアロスタミは、プロの俳優ではなく、現地でリクルートした素人を役者として使っている。

1997年の作品「桜桃の味」は自殺志願者の心理をテーマとし、1999年の「風が吹くまま」は、イランの地方村落における葬式がテーマだ。葬式と言っても、葬儀の場面が中心になるわけではなく、葬式の発生を期待しながら村にやってきたものの、肝心の死者が出ないことにいらだちながら、機会を待ち続けるテレビ映画作りのスタッフたちを描くと言う不思議な作品である。

2010年の作品「トスカーナの贋作」は、イタリアのトスカーナ地方を舞台にして、フランス人とイギリス人の疑似恋愛をテーマにしている。疑似恋愛というわけは、この男女は本当に愛し合っているのではなく、疑似的な夫婦を演じているにすぎないからだ。もっとも女のほうは、男に向って欲求不満をぶつけるのだが、男のほうではそれに応える気持ちがない。こんなわけのわからぬ映画を、キアロスタミがどういうつもりで作ったか、よくわからぬところがある。

2012年の作品「ライク・サムワン・イン・ラヴ」は、もっとわけがわからない。これは日本に来て、日本の金を使って、日本人の俳優を起用して、もちろん日本語で作ったので、日本映画といってもよいのだが、内容的には日本的な雰囲気を全く感じさせない。テーマとしては、若い女の出張売春を描いているのだが、その描き方が、日本人的ではないのだ。イラン人の視点から日本人を描くといった具合で、これを見せられた日本人は、どこか架空の世界の話だと思わされる。

そんな具合でキアロスタミはけっこう幅の広い映画を作っている。その映画的な感性は、欧米や日本の映画とはかなり違う。またそこにキアロスタミ映画の人気があるともいえる。ここではそんなアッバス・キアロスタミの代表作を取り上げて、鑑賞しながら適宜解説・批評を加えたい。


アッバス・キアロスタミ「トラベラー」:サッカーに熱狂する少年

アッバス・キアロスタミ「友だちのうちはどこ」:少年のひたむきさ

アッバス・キアロスタミ「ホームワーク」:イランの少年たち

アッバス・キアロスタミ「そして人生はつづく」:イラン大地震傷跡

アッバス・キアロスタミ「オリーブの林をぬけて」:新婚夫婦の日常

アッバス・キアロスタミ「桜桃の味」:自殺志望者の気持ち

アッバス・キアロスタミ「風が吹くまま」:イランの農村地帯の日常

アッバス・キアロスタミ「トスカーナの贋作」:偽の夫婦を演じる中年男女

アッバス・キアロスタミ「ライク・サムワン・イン・ラヴ」:日本らしさを感じさせない日本映画



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