壺齋散人の映画探検
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日本映画をはじめ、世界中の映画のなかから、傑作、名作、問題作千数百点を取りあげ、個々に鑑賞しながら、それらの魅力とか、世界の歴史において持った意義などを考察します。いわば、世界中の映画を探検するようなところから、「壺齋散人の映画探検」とうたってみたところです。大げさすぎるかもしれませんが、これを一覧することで、世界の映画のおおまかな俯瞰図を得られるとともに、これから昔の映画を見直し、鑑賞したいと思っている人のために、手引きとなることを期しています。


日本映画
 溝口健二
 小津安二郎
 成瀬巳喜男
 戦前の巨匠たち
 黒沢明
 木下恵介
 今井正

 山本薩夫
 新藤兼人
 市川崑
 川島雄三
 野村芳太郎
 増村保造
 岡本喜八
 今村昌平
 大島渚
 吉田喜重
 若松孝二
 山田洋次
 鈴木清順
 大林宣彦
 伊丹十三
 熊井啓
 降旗康男
 小栗康平
 黒木和雄  
 篠田正浩
 深作欣二
 瀬々敬久
 塚本晋也
 西川美和
 北野武
 崔洋一
 東陽一

 是枝裕和
 小林政広
 河瀬直美
 阪本順次
 黒沢清
 石井裕也
 やくざ映画
 
 日本のアニメ映画
 日本映画補遺
 日本映画21世紀篇


アメリカ映画
 C・チャップリン
 ジョン・フォード
 A・ヒッチコック

 ウィリアム・ワイラー
 フランク・キャプラ
 ビリー・ワイルダー 
 オーソン・ウェルズ

 フレッド・ジンネマン
 サム・ペキンパー
 クリント・イーストウッド
 ニューシネマ
 ミロス・フォアマン
 S・スピルバーグ

 ウディ・アレン
 ミュージカル映画
 コメディ映画
 1930年代ギャング映画
 アメリカ映画補遺


イギリス映画
 デヴィッド・リーン
 キャロル・リード
 デレク・ジャーマン

 ケン・ローチ
 シェイクスピア劇

オーストラリア映画

 
フランス映画
 ルネ・クレール
 ジャック・フェデー
 ジャン・ルノワール
 J・デュヴィヴィエ
 マルセル・カルネ 
 ルネ・クレマン
 ジャン・コクトー
 戦後フランス映画
 ルイ・マル
 ヌーヴェルヴァーグ
 ダルデンヌ兄弟

 
イタリア映画
 V・デ・シーカ
 R・ロッセリーニ
 L・ヴィスコンティ
 F・フェリーニ
 M・アントニオーニ
 P・P・パゾリーニ
 B・ベルトルッチ


ドイツ映画
 ヴィム・ヴェンダース

北欧映画
 スウェーデン映画
 I・ベルイマン
 ノルウェー映画
 デンマーク映画
 フィンランド映画

南欧・ギリシャ映画
 スペイン映画
 ルイス・ブニュエル
 ペドロ・アルモドバル
 ポルトガル映画
 ギリシャ映画
 テオ・アンゲロプロス


ロシア映画
 A・タルコフスキー

 グルジアの映画
 キルギス映画

東欧映画
 ポーランド映画 
 チェコ映画
 ハンガリー映画
 ルーマニア映画
 ユーゴスラヴィアの映画

中国映画
 張芸謀
 台湾の映画

アジア映画
 韓国の映画
 東南アジアの映画
 インド映画
 イラン映画
 中東諸国の映画
 トルコ映画

ドキュメンタリー映画

映画についての覚書


写真は上から、東京物語(日本映画)、七人の士(同),
男はつらいよ(同)、万引き家族(同)、となりのトトロ(同)
市民ケーン(アメリカ映画)、めまい(同)逢引き(イギリス映画)
禁じられた遊び(フランス映画)自転車泥棒(イタリア映画)
カリガリ博士(ドイツ映画)僕の村は戦場だった(ロシア)
花の生涯(中国映画)、ゆきゆきて神軍(ドキュメンタリー映画)


映画を発明してはじめて公開したのはリュミエール兄弟ということになっているが、映画を映像芸術かつ大衆娯楽として確立したのはジョルジュ・メリエスといえよう。そのメリエスが「月世界旅行」を公開したのは1902年。それから120年の間に、映画はさまざまな展開を見せてきた。始めはモノカラーでかつサイレント。1930年以後にトーキーに移行し、第二次世界大戦後にはカラー映画が主流になる。画面の構成も横に広いものとなり、音声もモノラルからステレオにかわった。

映画製作上の技術も発展した。当初は被写体をそのまま映し続けるというものだったが、モンタージュとかクローズアップといった技術が発展して、映画の画面はどんどんダイナミックになっていった。とりわけ重要なのはモンタージュ技法であり、その完成には、アメリカ人のグリフィスとかロシア人のエイゼンシュタインらが貢献している。グリフィスは人種差別を煽るプロパガンダ的な映画を作っており、映画の政治的な利用という問題を投げかけもした。映画を最大限政治的に利用したのはナチスである。

当初は、欧米や日本など、経済的な先進国が映画の主な供給国だった。日本で映画つくりが盛んになるのは1920年代後半からである。先進国を中心とした世界の映画産業は、1930年代に最初の黄金時代を迎える。第二次世界大戦がはじまると、映画産業にも大きな影響が及び、各国とも戦意高揚のための映画つくりを為政者から奨励された。アメリカのような国でも、厖大な数の戦意高揚映画が作られている。

第二次大戦後は、長い冷戦時代が続き、東側と西側では文化的な断絶があった。西側では、映画史上は拡大し続け、1960年代に全盛期を迎えた。だが、テレビの普及にともない、娯楽の王者としての地位を脅かされ、一時は深刻な不振・停滞に見舞われたこともある。

冷戦が終了すると、経済関係のみならず、映画を含めた文化にも東西の垣根がなくなり、映画は世界的な市場を持つに至った。西側の映画が東側諸国に浸透する一方、東側でもすぐれた映画が作られ、高い評価を受けるものが多数現れた。

21世紀に入ると、映画はまさに世界市場をめざして作られるようになり、また、DVDの普及により、家庭内で鑑賞されるようにもなった。その中で、中国やインドでの映画産業の隆盛があり、また、東欧や中南米諸国では、独特の雰囲気をもった芸術性豊かな映画が多数作られるようになる。映画は、かならずしも国籍にしばられず、人間にとって普遍的な事象を描くというのが相場の見方だが、やはり国民性みたいなものは指摘できる。アメリカ人は楽天的で快楽的な映画を好み、ラテン系の人々は開放的な男女関係を描いた映画を好み、インド人は音楽性豊かな映画を好み、日本人は男女にかかわらず人間の意地を描いた映画を好むといった具合である。

このサイトは、世界の映画界を網羅的に俯瞰し、その中から各国の質の高い作品を取り上げて紹介する。その際の、映画作品の分類は、基本的には監督ごととし、監督出身の国にしたがってまとめてある。そのほか、「映画についての覚書」の中では、映画の歴史や管理人(壺齋散人)の映画論を紹介する。



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