壺齋散人の 映画探検
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マッドマックス:オーストラリアの無法地帯



1979年公開の映画「マッドマックス(Mad Max)」は、オーストラリア映画を世界に認識させた最初の作品と言われる。要するに画期的な映画なのだが、その割には大した内容はない。ただのアクション映画である。警察とならず者の暴走族たちが、対等の立場で戦うというもので、その陰惨な暴力シーンの連続は、暴力礼賛といってよい。その暴力を、本来暴力を取り締まるべき警察もふりまわす。じっさいこの映画は、ならず者だけでなく、警察も暴力礼賛主義者なのである。それにはアングロサクソンの暴力支配の上に打ち立てられたオーストラリアの歴史が絡んでいるのだろうと思わせられる。

舞台設定は明確ではないが、それには大した意味はない。オーストラリアらしく砂漠に囲まれた地方都市というふうに、西部劇的なお膳立てがあれば十分である。そこをナイトライダーと称する暴走族が暴れまわっているので、警察が取りしまりの挙句殺してしまう。それに対して仲間の暴走族が復讐しようとするのはいいが、逆に返り討ちにあって、十人以上もいた暴走族のメンバーが、たった一人の警察官の働きによって全滅するというような内容である。

見ていて強烈な印象を受けるのは、オーストラリア社会の無法ぶりである。そこには法の権威などというものはない。警察は法の番人ではなく、特殊な利益団体である。その点では暴走族と異ならない。だから警察と暴走族との対立は、権力による無法者の取り締まりではなく、ある利益集団と別の利益集団との喧嘩に過ぎず、警察が暴走族をやっつけるのは、法に基づく取り締まりではなく、私怨にもとづくリンチなのである。

じっさい、この映画の主人公である警察官マッドマックスが暴走族を懲らしめてやろうと決意したのは、妻をひどい目にあわされ、一人息子を殺されたかならのである。だから彼の行為は完全な私刑である。怒った男が、憎むべき相手に鉄槌を下したということにすぎない。

こんな映画を見せられると、オーストラリアが無法地帯であって、いかに野蛮な国か、よくわかる。それは先ほども触れたように、オーストラリアという国の成り立ちによるものだろう。オーストラリアはアメリカ同様アングロサクソンが先住民をせん滅して築いた侵略国家であるが、アメリカが曲がりなりにも、白人同士の間での法の支配を確立したのに対して、オーストラリアにはそうした普遍的な原理が根付かなかったということらしい。とにかく、全編暴力だらけの、胸糞の悪くなるような映画である。




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