壺齋散人の 映画探検
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南極物語:樺太犬たちの運命を描く



1983年の映画「南極物語」は、日本の南極観測にとって画期的なプロジェクトだった第一次南極観測隊の活動を描いている。この観測隊の活動は、日本の歴史上画期的なことだったので、それ自体大きな関心を集めたのであるが、それよりも日本国民を熱狂させたものがあった。それは南極大陸調査隊の活動に活躍した樺太犬の運命である。これら樺太犬は、第二次観測隊との引継ぎが失敗したことで、十五頭が鎖につながれたまま放置されたのであったが、第三次観測隊が昭和基地にたどり着いたときに、十五匹のうちの二匹、兄弟犬のタロとジロが生き残っていたというというので、日本中が熱狂したのであった。

なぜそんなにも熱狂したのか。第一次南極観測隊が派遣されたのは昭和31年のことで、敗戦からまだ十年しかたっていなかった。人々は、南極に放置された犬たちに、いまだ戦場から帰らぬ肉親の姿を重ね合わせ、その犬たちの一部が生還したことを、自分の肉親が復員した来たことのように喜んだのではないか。なにしろ、シベリアに抑留されていたものの大部分がやっと帰還したばかりのことであり、女浪曲師の二葉百合子が「岸壁の母」を歌ったのは1972年のことである。そういう時代状況を考えれば、当時の日本人が、南極にとり残された犬たちに自分の肉親を重ね合わせ、その帰還を我がことのように喜んだのは、十分理解できることである。

この映画は、実際の出来事があってから四半世紀を過ぎて作られており、国民のかつての熱狂感はうすれていた。だから、樺太犬の運命を兵士のそれと重ね合わせる雰囲気は消えており、忠実な犬の美談と化していた。いわば忠犬ハチ校の南極版といったものでしかなかったわけだ。だから、この映画には人を熱狂させるような要素はない。ひたすら犬たちのけなげに生きる様子を描いた忠犬物語に堕している。

その犬たちの南極における生き方については、まさか犬に聞くわけにもいかず、人間による推測に基いた描き方をしている。だが全く想像というわけでもない。個々の犬が死んだ地点等をもとにして、犬たちの活動の様子をある程度再現することはできる。しかしそれにも限度があるので、ほとんどの部分は脚色されたものである。

犬の孝行談であるから、主人公はあくまでも犬たちである。人間を代表して高倉健が出ているが、さすがの高倉健もここでは脇役である。極地の壮絶な自然が表現されているが、これは北極及び南極におけるロケの画像を使ったものだそうだ。そのロケに三年もかけて映画を作ったという。




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