壺齋散人の 映画探検
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ALWAYS 三丁目の夕日:山崎貴



「ALWAYS 三丁目の夕日」は、昭和33年(1958)頃の東京の庶民生活を描いた映画だ。昭和33年といえば、東京でアジア大会が開かれ、東京タワーが登場した年だ。東京が戦後の瓦礫を乗り越えて、復興に向けて前進の歩みを力強く加速させた年である。だから、人々の心の中には、戦争への辛い記憶と、将来への希望とが入り混じっていたことと思う。この映画は、その明るい希望に焦点をあてて、当時の人々の暮らしぶりを描き出した。

この映画が公開されたのは2012年のことで、映画が描いている当の時代から半世紀以上もたっていた。だからそれを見た人の大部分は、この時代を肌で知らない人達だったろう。というのも、この作品はコミック雑誌に連載された漫画を映画化したものであり、マンガの読者が若い人達だったと考えれば、映画の観客もそうした若い人たちが主だったと考えられるからである。だが、この映画は若い人ばかりではなく、年寄りを含めた多くの年齢層の人々にも受け入れられた。年寄りたちには、自分の若い頃を思い出させるようなノスタルジックな映画として、若い人達には漫画感覚で楽しめる映画としてである。

映画は、昭和33年頃の東京のある街を舞台にしている。その町からは建設中の東京タワーが見えることから、その近くのどこかだとわかる。映画のラストシーンで、この街の人々が、完成した東京タワーに夕日が沈むのを見る場面が出てくるから、東京タワーの東側、恐らく芝界隈の街だと思われる。その街を舞台にして、そこに暮らしている様々な人々の、喜怒哀楽に富んだ日常生活を、映画は淡々と描いてゆく。

ドラマチックな筋立てはない。その町に暮らしている人々が互いに支えあって生きているさまが淡々と展開されるだけである。町工場の家族と、そこの従業員として青森から集団就職の一員としてやってきた少女、売れない作家とそこへ転がり込んできた少年、その少年を作家に押し付けた飲み屋の女、この二組の人々を核にして、それに町に住むさまざまな人々が絡み合いながら、昭和33年の東京の一角にある小さな街の日常世界が展開してゆく。それを見ると、筆者のように、この時代を東京で成長した人間にとっては、なんともいえず懐かしい気分になる。

映画は全体として、アット・ホームで明るい雰囲気に包まれているが、それは子どもを中心にして進めているからだろう。子どもの視野から見える東京は基本的に明るい世界であるし、彼らをとりまく人間たちに悪人はいない。自分たちを暖かく見守ってくれる大人たちに囲まれて、子どもたちは充実した毎日を送っている。東京タワーは日に日に大きく立ち上がってゆくし、生活も日々豊かになってゆく。それは、テレビが家に来たり、冷蔵庫を買ったりするという、生活環境の変化として可視的に現れる。この時代の日本はまさに、前へ前へと進んでゆく前向きの雰囲気に満ち溢れていたわけだ。

だが、いくつかは戦争を思い出させるようなこともある。たとえば、町工場の主人は兵隊の経験があることになっているし、人のよい町医者は、空襲で妻子を失ったことになっている。また、貧困のために辛いこともおきる。町工場に住み込んで働くことになった少女は、正月休みに実家へ帰るようにと主人から切符を買ってもらうのだが、帰ろうとしない。彼女は自分が実家にとって重荷になっていると思い、帰っても歓迎されないだろうと思っているのだ。その挙句に自分は親に捨てられたのだと思い込んでいる。貧困が彼女をそのように思わせるのだ。

売れない作家は、自分に子どもを押し付けた飲み屋の女が好きになる。飲み屋の女も作家にまんざらでもないというサインを送る。自分の押し付けた子を、二人で育ててもよいと言うのだ。そこで作家は、思い切ってプロポーズする。婚約指輪をプレゼントしたいが、買う金がない。そこで銀座の宝石屋に行って、宝石を入れる箱だけを買い求める。彼はその箱を女の目の前にさしだし、そこから指輪を取り出す仕草をしたあと、あたかも実物を女の手にはめようとするかのような仕草をする。女のほうも男に応え、指を差し出す。それは、あなたの求愛を受け入れるというサインだ。何とも泣かせる場面といってよい。

だが女は突然姿を消してしまう。父親の病気のために多額の借金をし、その返済のために身売りをしたからだ。女に去られた作家は、情愛を抱くようになった子どもも失うことになる。父親というのが突然現れて、連れ去ってしまうのだ。このあたりは、小津安二郎の「長屋紳士録」を思い出させる。「長屋紳士録」では、見知らぬ子どもを押し付けられたお人よしの婆さんが、最初は迷惑がっていたがそのうちに可愛くなり、自分で育てようという気になったところで、本当の父親が現れて子どもを連れ去ってゆく。その婆さんを作家に置き換えれば、この二つは同じような境遇を描いているわけだ。

ところでその作家の名前は茶川龍之介ということになっている。こどもの名前は古行淳之助だ。映画では、作家の茶川よりも子どもの古行のほうが才能があることになっている。愛嬌のつもりだろう。

ラストシーンは感動的だ。一旦連れ去られた子供が作家のところへ戻ってきて二人で抱き合う。故郷へ帰る気になって汽車に乗る少女を町工場の主人親子がいつまでも見送る。そして彼らの目の前には、夕日を浴びた東京タワーが聳え、その東京タワーと同じものを街の人々も見とれるのである。あたかも東京タワーが、自分たちの生きる気力をかきたててくれる象徴であるかのように。





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