壺齋散人の 映画探検
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野いちご(Smultronstället):イングマル・ベルイマン



イングマル・ベルイマンの映画「野いちご(Smultronstället)」は、老いと死を追求した作品である。ベルイマンは前作「第七の封印」において、死を人間の外から襲い掛かってくる凶暴な力として描いていたが、この作品では、老いがはぐくみ育てる果実のようなものとして描いている。それは人間にとって避けがたい宿命としては、誰もがたじろがざるをえないものだが、自分の生きてきたことの意味を考えさせずにやまないものとしては、なつかしいものでもある。少なくとも、沈黙を強いる暴力ではない。それはかえって愛の感情を掻き立てる。何故なら愛とは人間の生命に固有のものだからだ。その生命の暖かい営みが消えそうになるとき、人は愛の最後のほとばしりを感じるに違いないのだ。

映画は、78歳の老学者が見る不思議な夢の光景から始まる。その夢の中に出てくる時計にはすべて針がない。老学者の脇を通りがかった霊柩馬車が転倒し、棺が路上に転げ落ちる。その中には老学者自身の遺体が横たわっている。この夢を見た老学者は、自分の身に死が迫っていることを感じるのだ。映画は、その老学者が自分の死を受け入れる為に、自分の生きてきた道を振り返り、自分の生涯に一定の意味づけを行おうとする過程を描いている。それゆえこの映画は、死へのイニシエーションを描いたものだということができる。イニシエーションは普通、少年から成年への移行を確認する儀式とされるが、ここでは生から死への移行を確認するものになっているのである。

このイニシエーションの舞台となるのは、老学者自身の夢だ。繰り返し見る夢の中で老学者は、自分がこれまで生きてきたうえで経験したさまざまな出来事を思い出す。許婚の女性を弟に取られたこと、妻がほかの男と不倫をする現場を目撃したこと、自分の医師としての技量に自信がもてないことなど。老学者にとって最もつらかったことは、許婚の女性に愛想を突かされたことだ。その女性は、老学者とその弟を天秤にかけて、弟のほうを選んだ。それは自分に、あまり愛を期待できないと彼女が感じたからではないか、そんなふうに老学者は思う。それ故、いまでは彼女を怨もうとは思わない。彼女が野原の中で野いちごを摘み取っていた姿を思い出の種として、この世で自分に割り振られた生き方を生きていくばかりだ、そんなふうに自分を納得させようとする。

そうした夢を通じて老学者は、愛の意味だとか人間と人間とのつながりとかについて、改めて考えずにはいられない。考えて結論が出るわけではないが、問題を明るみに出すことによって、それまでもやもやしていたことが、いくらかはすっきりするかもしれない。

老学者は、自分の学業に対して授与される名誉ある賞を受ける為に、ストックホルムから車でルンド大学に向かう。車には、折から居候していた息子の嫁が同乗する。この嫁は息子との生活に絶望している。夫が自分を愛さないのは、父親である老学者が人を愛することを知らなかったことの結果だと彼女は思っている。途中から若い男女の三人組が乗ってくる。そのうちの女性が老学者のかつての許婚に瓜二つだ(ビビ・アンデルソンの二役)。許婚が老学者と彼の弟を天秤にかけたように、この女性も同行の二人の男を天秤にかけている。一人は神学生で、もう一人は医者の卵だ。彼女は神学生と男女の関係にあるが、その男との未来にあまり明るいものを期待できないと思っている。彼女もまた、ある種の打算から、愛人を乗り換えるかもしれない。

中年の夫婦の車と事故を起こしたのがきっかけで、その夫婦も車に乗り込んで来る。この夫婦は仲が悪く、他人の車の中でも喧嘩ばかりしている。その様子が老学者と嫁に自分たち自身の不毛な夫婦関係を思い出させる。

老学者は、自分自身の96歳になる母親も訪ねる。この母親には冷酷なところがあり、それを嫁が嫌悪する。生きがらすでに死んでいる、とまでいう。母親が昔の形見だといって取り出した腕時計にも針がついてなかった。

その後に見た夢の中で、先ほど車から追い出した中年夫婦の夫のほうが出てきて、老人を審問する。そして有罪だと宣言する。何故有罪なのかと問いただすと、医師としての第一の義務を怠ったからだという。義務を果たしてきたつもりの老人は意外に思って、更にわけを問いただすと、お前にとっての第一の義務とは許しを乞うことなのだといわれる。老学者はこれまで、人は無論、神にも許しを乞うたことはないのだった。

ルンド大学に到着した老学者は、荘厳な雰囲気のなかで賞を受ける。それを見た三人の若者は大いに老学者をたたえる。あなたにも生きてきた資格があったことが証明されたのだ、と言わんばかりに。息子夫婦もなんとかもとの鞘に戻ったようだ。40年間仕えて来た家政婦も、老学者の死の近いのを悟って、急に優しく振舞う。まだ完璧とはいかないが、これでなんとか死ぬための準備が整ったようだ。映画の場面にそんな雰囲気が流れ始めたところで、この映画は終わるのである。





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