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ヤン・シュヴァンクマイエル「ファウスト」 ファウスト伝説を人形劇で



ヤン・シュヴァンクマイエルの1994年の映画「ファウスト」は、有名なファウスト伝説を映画化した作品。この伝説は、古くからヨーロッパじゅうに広まっていたと見え、イギリスではマーロウが、ドイツではゲーテが文学作品の中で取り上げ、また20世紀の初めころから各国で映画化されてきた。シュヴァンクマイエルのこの作品は、チェコ映画らしく、実写と人形劇を組み合わせたところに醍醐味がある。

現世的な快楽の実現と引き換えに自分の魂を悪魔に売り渡すという筋書きは伝説を踏まえている。ただ、ゲーテの作品では、かなりの自律性を見せていたメフィストテレスが、ここでは魔王ルシフェルの手先ということになっており、あまり大きな存在感は示していない。そのため、ファウストのほうも、たいした悪行をしたという意識が弱い。魂の売り渡しを仲介したメフィストテレスが、いいかげんな役割しか果たしていないので、ファウストのほうも自分の行為の重大性を痛感できないのだ。

ファウストが、自分の行為の重大性を痛感し、後悔の念を覚えるのは、約束の期限がきたという理由で、メフィストテレスから魂の引き渡しを要求されたときだ。ファウストは24年の期限で約束したはずなのに、12年の時点で期限満了を告げられるのだ。なぜかと問うに、メフィストテレスには仲間がいて、その仲間と二人でファウストの要求にこたえたので、二人分で計算して、12年かける2で24年分働いたというのである。子供だましのような言い分だが、ファウストには反論する力がない。ただ、その約束によって自分が享受した快楽は期待したほどのものではなかったと思うばかりだ。

伝説では、ファウストの最大の快楽は、無垢の乙女グレートヘンの誘惑であるが、この映画では、ファウストはヘレンという娼婦まがいの女とめぐりあうだけである。そのはか、ファウストは、架空の世界でさまざまな体験をするのだが、その部分は人形劇のかたちで展開する。ファウスト自身人形に変身することもある。

だが、死ぬときは現実の人間としてである。魂の受け渡しを迫られたファウストは、架空の世界から現実の世界へ逃避しようとするのだが、現実の町に飛び出た直後に車にひかれて死んでしまうのだ。そのファウストの死体から、一人の老人が脚を一本抜き去る。この老人は、すでに映画の初めの部分で人間の脚を持ち歩いていたのだが、それを失ったので、ファウストの脚を新たな所有品に加えたというわけだ。

この作品を通じて、シュヴァンクマイエルが何を主張したかったのか、その真意はわからない。




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