壺齋散人の 映画探検 |
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2019年のグルジア(ジョージア)映画「キリングフィールド 極限戦線」は、2008年8月に起きたロシア・グルジア戦争の一齣を描いた作品。この戦争の原因等については諸説あるが、基本的には、グルジア、アブハジア、オセチアが絡んだ民族問題にロシアが介入したということだ。この戦争の結果、ロシアはアブハジアとオセチアを独立国家として承認し、グルジアは「独立国家共同体(旧ソ連を受け継ぐ)」から脱退した。 この映画は、戦争の背景については触れない。戦争の実態を赤裸々に描写することに専念している。それも、兵士たちの戦いぶりとならんで、市民たちの動向をも追っている。市民たちには、安全な場所に避難しようとするものもいれば、故郷に踏みとどまって自国兵士のバックアップに務めるものもいる。 舞台は、2008年8月11日の、グルジアのある村。8月11日は、この映画では戦争が始まって二日目とアナウンスされるが、実際に戦争が始まったのは8月7日のことで、五日目にあたるはずである。それはともかく、ロシア軍に敗退したグルジア軍の一部隊(セナキ旅団という)が、トビリシに向けて移動することとなる。その部隊に、村の住民の一部も同行する。ところが、道中ロシア軍の攻撃をうけて、セナキ旅団は壊滅的な打撃をこうむる。兵士の大部分が戦死するのだ。ところが同行した民間人がどうなったか、それについては全く触れられない。そのへんは、映画作りにおける手ぬかりである。 一方、村に残った住民のなかには、負傷した自国兵をかくまい、怪我の手当てをするものもいる。その村にロシア軍が入ってきて、村人には緊張が高まる。だが、住民の殺害とかレープといった犯罪は起らず、ロシア軍は淡々と引き上げていく。その際にロシア兵は村人に向かって、我々は兄弟だ、などとうそぶくのである。 こんな具合に、ロシアとの戦いをテーマにしたグルジア映画にかかわらず、ロシアへの強烈な批判意識はあまり感じさせない。兵士同士の凄惨な戦いぶりが最大の見世物だが、兵士同士の戦いは、戦争にはつきものなので、どんなに陰惨な場面でも、これを非人間的だといって非難することもままなるまい。非人間的なのは、戦争そのものなのだ。 映画は、兵士が携帯電話で撮影した画像を示すことから始まり、やはりその画像をラストシーンでもうつす。現代の戦争は、個々の兵士によってオンライン状態で記録されているということがよくわかる。もっとも日本の軍隊なら、兵士個人の撮影など許さないだろうが。 |
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