壺齋散人の 映画探検 |
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ユーゴ・スラビアは、かつてバルカン半島に存在した連邦国家で、いまではバラバラに解体されてしまったが、解体する以前のユーゴ・スラビアに強い愛着を持ち、その愛着を映画の形で表現し続けた人物がいる。エミール・クストリッツァである。クストリッツァの映画は、激動に満ちたユーゴ・スラビアの現代史そのものの記録といえる。ユーゴ・スラビア出身の映画作家は他にもおり、いずれもかつての連邦国家の解体をテーマにしているのだが、エミール・クストリッツァほど、それに拘ったものはいないだろう。 |
それには、クストリッツァの出自も関係していると思われる。クストリッツァはサラエヴォの出身で、父親はセルビア人、母親はムスリムである。ということは、ユーゴ・スラビアという国の形を一身に体現していたわけである。ユーゴ・スラビアという言葉は南スラブという意味であり、そこに生きている人々は、もともと民族的には同じだったのである。それが宗教の相違とか、文化的背景の相違がもとで、別々の体制をとるようになったのだが、チトーの時に連邦国家として一体化した。チトーの時代には、それぞれの構成国が仲良くしていたように見えたが、チトーが死ぬと、連邦としての一体感は消失し、構成国家はそれぞれバラバラな道をめざすようになる。その過程で、クロアチアとセルビアの対立、ボスニアにおける内戦が勃発し、もともと同じ民族だったもの同士が、血で血を洗う戦いにあけくれることになった。そうした不幸な現代史にクストリッツァは痛恨の目を向けながら、映画を作り続けた。 エミール・クストリッツァの代表作は、1995年の作品「アンダーグラウンド」である。クストリッツァに二度目のパルムドールをもたらしたこの映画は、第二次大戦時のナチス支配の時代からチトー後の内戦にいたるまでの、ユーゴ・スラビア現代史50年間をカバーしている。この映画を見ると、チトー時代の融和的な雰囲気は例外の事態であって、ユーゴ・スラビアを構成した国々は、常にいがみ合っていたというふうに伝わって来る。その不毛ないがみ合いに、クストリッツァは民族の不幸を感じているようである。 クストリッツァに最初のパルムドールをもたらしたのは、彼の出世作「パパは、出張中」である。1985年に作られたこの映画は、解体以前のユーゴを舞台にしているが、すでにその頃にあっても、権力と民衆との対立が内訌しており、いずれ解体するのは目に見えていると言った、さめた見方がこの映画からは伝わって来る。事実この映画が予測したように、ユーゴ・スラビアは解体に向かうわけである。 1989年の映画「ジプシーの時」は、ユーゴ・スラビア内の少数民族ロマをモチーフにした作品である。ロマは、東ヨーロッパに広く展開する少数民族で、どこでも迫害の対象になってきたが、この映画は、そうした迫害のもとでたくましく生きるロマたちを、共感をこめて描いた。 「アンダーグラウンド」には、政治的なメッセージと並んで、音楽を中心とした祝祭的な雰囲気が目立ったが、その祝祭的な雰囲気を前面に出して、喜劇タッチでユーゴ・スラビア現代史を描いたのが「黒猫・白猫」である。また、2004年の映画「ライフ・イズ・ミラクル」も、祝祭的な雰囲気でボスニア内戦を描いた。最新作である2016年の「オン・ザ・ミルキー・ロード」もボスニア内戦をモチーフにした作品である。 ここではそんなエミール・クストリッツァの代表作を取り上げて、鑑賞しながら適宜解説・批評を加えたい。 パパは、出張中!:エミール・クストリッツァ ジプシーのとき:エミール・クストリッツァ アンダーグラウンド:バルカン半島現代史 黒猫・白猫:エミール・クストリッツアァ ライフ・イズ・ミラクル:エミール・クストリッツァ オン・ザ・ミルキー・ロード:エミール・クストリッツァ |
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