壺齋散人の 映画探検
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裸の十九才:新藤兼人の世界



新藤兼人の映画「裸の十九才」は、1968年に起きた連続射殺摩事件を題材にした作品である。この事件の犯人が、集団就職で青森から都会に出てきた当時19歳の少年だということに興味を覚えた新藤は、何がこの少年を凶悪犯罪に駆り立てたのか、その背景を知りたいと思って取材をするうち、少年の育った悲惨な境遇が事件に深い影響を及ぼしていると感じるようになった。そこで、この事件の本質を新藤なりに解釈して、それを映画の形にまとめたのがこの作品なのだという。フィクションを含まない、事実だけに立脚した映画ということらしい。もしそうなら、かつての日本にこんなことがあったのかと、息苦しさを感じさせるような陰惨な事実が描かれている。

事件を引き起こした少年は永山則夫といって、中学卒業後、青森の農村地帯から東京へ集団就職という形で出てきたが、都会での生活になじめずに周囲から孤立し、ついには絶望的な気持ちになって犯罪を起こしてしまった、というふうに当時は言われていた。また、永山本人も、自分が犯した罪は社会の犯した罪であると言って、あたかも自分が社会の犠牲者のような言い方をしていた。新藤はその辺に興味を覚え、社会のどんなところが彼の人生を狂わしてしまったのか、その事情を詳しく知りたいと思うようになったというわけである。

こんないきさつからして、この映画を通じて、新藤は主人公の永山則夫(映画では山田道雄)にかなり同情的である。新藤は永山の郷里の青森県板柳(映画では細柳)に赴いて永山の母親に面会し、永山の生い立ちについて詳しく聞いたところ、そのあまりの悲惨さに絶句したという。永山自身が悲惨であったばかりか、彼の母親も悲惨な人生を送ってきた。また、面会している当の時期においても、悲惨極まりないと思えずにはおれないような生活をしていた。世界から完全に締め出されたような、この世にまともな生き場所をもたないような悲惨さである。そんな悲惨な境遇に置かれたならば、どんな人間でも犯罪に走ることは不思議ではない。どうも新藤はそのようなメッセージを、この映画の中に込めているように思える。

それ故この映画は、永山が犯罪に走らざるをえなかった背景として、永山の生きてきた人生を描いたという側面があるのだが、永山自身の人生のみならず、彼の母親の人生をも詳細に描き出している。というよりは、母親の人生が中心になって、その人生の一部としての永山の人生が描かれ、この二人の不幸な人生のミックスから、永山の犯罪が生まれてきたというような描き方になっている。そういう点で、多少ピントがずれていることを感じさせるが、それは、新藤が、永山はともかく、彼の母親の悲惨な人生にも深く心を動かされたことの結果なのだろうと思われる。

この母親は、自分自身が貧しい境遇に育ったあげく、甲斐性のない男と結婚し、大勢の子どもを生んで、その日暮らしの生活に明け暮れている。そのうち亭主は家に寄りつかなくなり、長男は同級生の女の子に子どもを生ませて身をくらまし、また年ごろになった娘は、母親の勤め先の使用人や部落のならず者たちに強姦されて発狂してしまう。ついに感極まった母親は、心機一転のつもりで小さな子供だけを連れて別の土地へ移り、永山少年始め四人の子どもを置き去りにする。こんな境遇の中で、永山少年は次第に人間不信を深めていく、という過程が描かれていく。

しかし、そのような過程が何故、連続射殺と言うような事件につながっていくのか、そのあたりは、説得的に描かれているとはいえない。永山と同じように、悲惨な境遇に育ちながら、犯罪とは無縁な若者は沢山いる。そのような境遇に育ちながら、なぜ永山だけが、このような犯罪を引き起こしたか。その疑問に、この映画は十分に答えていないといわざるをえない。

永山が射殺したのは四人だが、そのうちの二人は、タクシーの運転手であり、金を奪うことが目的だった。だから、そこにはいささかも同情すべき点はない。最初の二人についても、永山の不審な行動を咎めようとしていきなり銃を撃たれたということになっていて、永山が銃を撃つたことに同情できるような事情はない。たまたま銃を持っていたから、それを使ったというだけの話だ(この銃は、盗みに入った米兵の家で見つけたものである)。

こんなわけでこの映画は、社会の矛盾が永山を犯罪に走らせたというメッセージを発しようとしながら、社会の矛盾と個人の犯罪とがしっくりと結びついていない、という印象を与える。だから観客は、自分も永山と同じような境遇に陥ったら、永山と同じような罪を犯したかと問われれば、なかなかそうだとは答えないだろう。

この映画はむしろ、母親の生き方の悲惨さというものに、観客の眼を引き寄せるようなところがある。永山の行動には、同情できるような要素がほとんど感じられないが、母親の生き方には同情できるところがある。この母親は、子どもを生むことしか能がない女として描かれており、子どもたちの悲惨は、この母親の子として生まれてきたことにその原因がある、というふうに描かれているのだが、そう描かれながらも、この母親には人間的な雰囲気が感じられる。その雰囲気が、この母親を、憐れむ気持ちは起こさせても、非難する気にはさせないのだろう。

その母親を、新藤映画の常連乙羽信子が演じていた。その甲斐性のない亭主は草野大悟、山田道雄こと永山則夫は原田大二郎が演じていた。原田はこれが実質的なデビュー作となった。出演時にはすでに25歳になっていたが、少年の雰囲気をよく演じ得ていた。

なお、この映画には、学生運動の街頭デモの様子が度々映し出されているが、それは、同じ若者でも、大学に行って騒いでいるものもあれば、中学校でさえまともに通えない者もいるのだということを語りかけたいための、新藤なりのメッセージなのかもしれない。

(付記)映画の中で、生徒たちが先生に引率されて東京に出てくる場面がある。上野の駅に生徒たちを出迎えたのは東京都の役人だ。おそらくは、当時は東京都の管轄だった職業安定部局の職員たちなのだろう。それらに迎えられて、学校の先生が生徒たちを引き渡す。この時代の集団就職は、大都市の労働行政当局が、東北など貧しい地域の学校とタイアップしていたということが、この場面からよくわかる。主人公の山田道雄は、上京後定時制高校に入りたいと考えるようになるが、これは大都市の行政当局が集団就職の生徒たちに夢を与えるために用意したものだった。もっとも、山田道雄自身は、脱落してしまうのであるが。





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