壺齋散人の 映画探検
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ウィリアム・ワイラー「嵐が丘」:エミリー・ブロンテの小説を映画化



ウィリアム・ワイラーの1939年の映画「嵐が丘(Wuthering Heights)」は、エミリー・ブロンテの同名の小説を映画化した作品。エミリー・ブロンテは、「ジェーン・エア」の作者シャーロット・ブロンテの妹で、29歳の時に刊行したこの小説が彼女にとっての唯一の作品である。彼女はこの小説刊行の翌年(1848年)に、三十歳の若さで死んでいる。生前にはあまり評判はよくなかったが、20世紀にはいると、イギリス文学の生んだ傑作というような評価をされるようになった。

映画は原作の雰囲気をかなり忠実に再現している。道に迷った男が一夜の宿を求めてきたが、風変わりな主人によって拒絶され、かれに同情した老女性執事によって世話をされるという小説の導入部をそのまま取り入れているし、回想される過去の出来事もほとんどそのまま生かしている。ただ、原作では、謎の女性キャシーが残した日記を男が読むという体裁になっているのに対して、映画では老女性執事が回想を物語るという体裁に変えてある。

嵐が丘と呼ばれる屋敷が舞台である。その屋敷の主人が、旅からの帰途、七歳くらいの少年を拾って連れてくる。屋敷には少年と同じ年頃の少女キャシーとやや年長の兄(長男)がいる。少年はヒースクリフと名付けられ、二人の兄妹とへだてない待遇をうける。長男とは仲良くなれなかったが、妹のキャシーとは親密な関係をむすび、それがやがて恋心に発展していく。だが、主人が死に、長男が後をつぐと、ヒースクリフは馬丁の境遇に陥る。そんなかれとキャシーは、二人だけの秘密を持つようになり、互いに絆を深めていく。

だが、ヒースクリフは所詮馬丁にすぎない。気位の高いキャシーと結婚し、彼女を幸せにさせる能力は持っていない。そんなヒースクリフを愛しながらも、キャシーは現実的な判断を行い、隣接する富豪の妻になる。

失意のヒースクリフは、アメリカにわたり、そこでひと財産こしらえて嵐が丘に戻ってくる。かれには二つの目的があった。一つは破産状態の長男から屋敷を買い取り、自分自身がそこの主人上になることで、かつて長男から受けた侮辱に意趣返しを行うこと。もう一つは、キャシーの愛を取り戻すことだった。だが、キャシーは夫をそれなりに愛しており、ヒースクリフの愛に応えるわけにはいかない。彼女がその愛に応える気持ちになるのは、死の床に就いてからだった。死を前にしたキャシーは、ヒースクリフを抱きしめ、長い間抱いていた彼への愛を、最後に表現した、というような内容である。

愛の堅固さとか、その愛を貫こうとする女性の強い意志が、この映画の中核的な要素である。ワイラーは、女性の強い意志を描くことにこだわった作家だが、この映画にも、そのこだわりが出ているといえる。

なお、これは逸話になるが、映画の中では深く愛し合っていた形のローレンス・オリヴィエ(ヒースクリフ)とマール・オベロン(キャシー)は、実際には犬猿の仲だったということだ。




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