壺齋散人の 映画探検
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ジョーズ(Jaws):スティーヴン・スピルバーグ



1975年のアメリカ映画「ジョーズ(Jaws)」は、スティーヴン・スピルバーグの出世作だ。スピルバーグはこの映画によって一躍名声を獲得しただけではなく、ホラー映画の歴史に一ページを書き加えた。この映画は、ホラー映画を一段と深化させたのである。

テーマは人食いサメと人間との死闘だ。サメといえば、人間にとっては大きな恐怖の対象だが、なぜそんなに人間を恐怖させるかと言えば、単に狂暴という理由からではない。底知れぬ不気味さが人間を恐怖させるのだ。その不気味さをスクリーンのなかの登場人物は、サメには表情がないと表現している。面白いのは、それが人間によく似ていると言っていることだ。ある意味、人間にとって人間ほど気味の悪いものはない。その人間の表情にサメがよく似ているというのである。

一頭の巨大なサメが、リゾート地である島の海岸に現われ、人間を次々と食う。島の警察署長は何とかしてサメを退治しようと思い、サメの専門家の協力を得て、島の行政当局に訴えるが、市長らは、サメの騒ぎで観光客が来ないことを憂慮して、情報隠しを図ろうとまでする。この辺の、利益至上的な人間像は、日本の原発マフィアを想起させるところがある。

市長らも、度重なるサメの襲来に直面して、ついにサメ退治を決意する。そのきっかけとなったのは、海水浴場にサメがあらわれ、子どもが食われたことだった。その母親は、市長や警察が情報を隠していたせいだと言って激しく非難し、サメ退治に賞金を出す。そこで事態が公になって、いつまでも隠しておくわけにもいかず、ついに公然たるサメ退治に乗り出したというわけなのである。

この、子どもがサメに食われるシーンでは、海で楽しんでいた大勢の観光客の前に、サメが巨大な口を開いて襲い掛かるというイメージが流布しているが、これは宣伝用のスチル写真の映像であって、映画のシーンでは出てこない。

ともあれ、警察署長は地元の漁師でサメ退治の名人といわれるクィントを雇い、海洋学者ともども、三人で小さなボートに乗り込んでサメを追いかけることになる。それ以後は、人間とサメとの格闘が延々と映し出される。その格闘の様子が真に迫っていて、思わず見ている者の背中をぞっとさせるというわけなのである。

クィントは腕のよい漁師で、これまで夥しい数のサメを退治してきた。彼がサメ退治にこだわるわけを、三人が心を打ち溶け合ったところで、本人に告白させるシーンがある。クィントは、第二次大戦中巡洋艦インディアナポリスの乗組み員だったのだ。この船は、広島・長崎に落とすべき原爆をテニアン島まで運んだあと、フィリピン沖で日本の潜水艦に沈められたのだが、その折に乗っていた1100人以上の内、助かったものは300人余りしかいなかった。残りの人間はみなサメに食われてしまったのだ。なにしろ人間の数の何倍ものサメが、一斉に人間に襲い掛かり、人間を食い散らす。それを見たことで、クィントはサメ退治にこだわるようになったというのだ。

そのクィントは、ついにサメによって食われてしまう。海洋学者にしても、海中であやうくサメに食われそうになる。それほどこのサメとの格闘は熾烈なものだったのだ。結局生き残った二人が、大きな樽につかまりながら海を漂流するところで映画は終わる。サメは彼らの乗っていたボートまで食い破ってしまったのだ。

なお、インディアナポリスの乗組み員が、船が沈没したあと海にたたき出され、そこでサメに襲われたのは事実だったようだ。だが映画の中でクィントが言っているように、死んだ人間すべてがサメに食われたわけではないらしい。大多数は、救助を待つ間に衰弱して、海中に沈んでいったのだと思われている。

また、サメと人間の格闘という点では、この映画はヘミングウェイの「老人と海」を想起させる。ヘミングウェイの小説では、格闘の相手はカジキマグロで、その点では生命に重大な危険を感じるような生き物ではないが、人間をとことんてこずらせると言う点では、この映画のなかのサメに劣らない。




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