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フレッド・ジンネマン「ジャッカルの日」:ド・ゴール暗殺計画



フレッド・ジンネマンの1973年の映画「ジャッカルの日(The Day of the Jackal)」は、ド・ゴール暗殺未遂事件をテーマにした作品。フレデリック・フォーサイスが1971年に刊行した同名の小説を映画化したものだ。原作はフィクションであり、したがって架空の話だったが、妙な迫力があって、さも現実におきたことと人に思わせるようなところがあった。現代史に取材した映画を作ってきたジンネマンとしては、現代史に巨大な足跡を残したド・ゴール暗殺計画に、かれなりの想像力を刺激されてこの映画を作ったということだろう。

ド・ゴールの暗殺を計画したのは、フランスの右翼組織OASということになっている。ド・ゴールがアルジェリアの独立を認めたことに反発したためだ。だが彼らの組織は弱体化していて、自分たちで計画を実行する能力がない。そこでプロの殺し屋を雇う。当然多額の報酬を要求されるが、その金をかれらは銀行強盗で稼ぎ出す。とにかく粗っぽい連中なのだ。だが、粗っぽいだけに、抜けている。そこが計画にとって命取りになる。

殺しを請け負ったのは、イギリスの若い殺し屋。コード名を「ジャッカル」と名乗っている。過去に中南米の独裁者を暗殺した実績があり、そこをOASに評価されたのだ。ジャッカルは、情報の漏洩を恐れ、計画は自分一人で実施することとし、OASとの連絡を必要最小限に限定する。だが、暗殺計画をフランス警察に感づかれる。フランス警察はOASの上級メンバーを誘拐して拷問にかけ、計画の概要を聞き出したのだ。暗殺の標的がド・ゴール大統領とあって、フランス政府は国家の威信をかけてつぶしにかかる。その司令塔にフランス警察の腕利きの警視が抜擢される。かくしてその警視を先頭にたてたフランス政府と、たった一人の殺し屋ジャッカルとが、息のつまる神経戦を繰り広げるのである。

壮大なサスペンス仕立てになっている割には、どこな矮小な印象を与えるのは、OASが間抜けな組織で、肝心な情報を簡単に警察に知られ、殺し屋一人が敵の矢面にたたされる羽目になるからだ。そのために、政治的な動機は前景化せず、孤独な殺し屋のプロフェショナル意識だけが独り歩きするといった具合になる。しかもその殺し屋に、人間性のかけらもない。殺し屋だから人殺しはお手の物だが、肝心のド・ゴールを射止めることができす、ほとんど関係のない人間を三人も殺すのである。それをニヒリズムというのか、あるいはビジネスというのか。

一番印象的に思えたのは、フランス政府の強権的な姿勢である。いくら大統領の警護のためとはいえ、市民を強圧的に取り扱い、一切の抗議を受け付けない。すべてのものに優越する権力を自分たちはもっているのだと、傲慢そのものである。また、外国の諜報機関との間に緊密な関係を持ち、それらの能力を使うことによって、実力以上の能力を発揮する。権力の論理が表にでてくるそういう場面を見ると、それなりに考えさせられる。




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