壺齋散人の 映画探検 |
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アメリカ映画協会が1999年に発表した俳優ランキングで、ハンフリー・ボガートは男優のナンバーワンにランクされた。二位はケーリー・グラント、三位はジェームズ・スチュアートであった。ちなみに女優部門はキャサリーン・ヘップバーンがナンバーワンであった。このナンバーワン同士は、1951年の映画「アフリカの女王」で共演し、ボガートにアカデミー主演男優賞をもたらしている。 |
アメリカ映画協会のランキングであるから、ボガートが評価されたのはアメリカ人にということになる。アメリカ社会は多様な人種を抱えているが、白人が大多数を占め、その白人の価値観がアメリカ社会を動かしている。だからボガートは、アメリカの白人社会によって、アメリカ人の理想の男性像として受け取られたのだと思う、アメリカの白人社会はまた、ヨーロッパ大陸の白人社会の延長のようなものだから、ボガートは要するに、白人男性の理想的なタイプとして認知されたのであろう。 だが、ボガートのどこにそんな魅力があるのだろう。ケーリー・グラントやジェームズ・スチュアートには、マッチョなアメリカ人男性として、いかなる困難をも乗りこえ、自分の信念を実現する強い男というイメージがある。それに対してボガートは、そんなにマッチョではないし、むしろ喧嘩には弱いくらいである(映画の中のボガートはいつも喧嘩に負けている)。だいいち、ハリウッドの二枚目俳優の中では小柄な部類に属する(身長は173センチ)。イングリッド・バーグマンと「カサブランカ」で共演したときには、長身のバーグマンと釣り合いをとるために、ヒールを高くしたほどだ。にもかかわらず、基本的には強い男というイメージがあり、しかも女にもてる。強くて女にもてるというのは、アメリカの白人男性の理想であるから、ボガートはその理想を体現した男として受け取られたわけだ。だが、あまりにも完璧すぎては、神の生まれ変わりのようで、親近感は持たれない。ボガードには、弱さの要素もあって、それが普通のアメリカ人に親近感を持たせたのではないか。 両親ともにイングランド系なので、アングロサクソンといってよい。アメリカでは支配的な人種である。家は裕福だったらしいが、ボガートは大学には入らず、18歳で海軍に入隊。三年後に除隊して以後は、舞台俳優を目指した。かなりの数の舞台をこなしたようである。1930年にジョン・フォードの作品「河上の別荘」に出たのが映画人生のきっかけ。以後1930年代は、ギャング映画のわき役として活躍した。「化石の森」(1936)、「倒れるまで」(1937)、「汚れた顔の天使」(1938)、「彼奴は顔役だ」(1939年)などに出ている。ギャング映画で共演したキャグニーやロビンソンは非常に小柄だったので、ハリウッド俳優としては小柄なボガートは、彼らに比較して大きく見えた。 1941年にジョン・ヒューストン監督と組んだ作品「マルタの鷹」で映画俳優としてブレークした。この映画の中でボガートは、知的でかつニヒルな私立探偵を演じた。1946年の映画「三つ数えろ」では、「ロング・グッドバイ」などでおなじみのフィリップ・マーロウを演じ、それらの作品においてボガートの演じた探偵像が、後にアメリカ映画における探偵像に大きな影響を及ぼした。なにしろ、刑事コロンボまでが、ボガートの服装と振る舞い方をまねたほどだ。 一方、1942年の「カサブランカ」では、苦み走った二枚目を演じて、これもまたボガートのイメージを大いに高めた。この映画は、当時世界を席巻しつつあったナチスに対する批判という意味合いもあり、映画市場にそれなりの存在感を発揮している。 第二次大戦終了時ボガートは45歳になっていたが、それから57歳で死ぬまで、多くのメジャーな映画に出演した。「キー・ラーゴ」(1948)、「アフリカの女王」(1951)、「悪魔をやっつけろ」(1953)、「ケイン号の叛乱」(1953)、「麗しのサブリナ(1953)といったところが代表作である。「麗しのサブリナ」では、当時人気絶頂だったオードリー・ヘップバーンを相手に、中年男の色気を感じさせる演技をしたものだ。絶世の美女に愛されるというのは、男にとっては至上の幸福である。その至上の幸福も、ボガートが演じるとさりげないイメージになる。とにかく絵になる俳優なのだ。 死因は食道がんだった。ボガートはヘビースモーカーのうえに大酒飲みだったので、自分で命を縮めたのだと言われた。かれのたばこの吸い方はトレードマークになったくらいである。それは親指と人差し指でつまむようにして口先にもっていくというものだった。ふつうの親爺がまねると間抜けに見えるが、ボガートがやるとさまになるのである。 ボガートは四度結婚している。四度目の相手ローレン・バコールは25歳も年下だった。年齢差にかかわらず二人は仲が良く、バコールはボガートが死ぬまで支え続けたという。 ボガートは、リベラルな姿勢を打ち出していた。戦後議会の非米活動委員会が赤狩りを始めると、ボガートはそれに対抗する運動に加わった。非米活動委員会が「ハリウッド・テン」と呼ばれるハリウッドの共産主義者たちのリストを作って弾圧に乗り出すと、「修正一条委員会」という組織を立ち上げて議会に抗議した。抗議を共にしたメンバーには、相棒のジョン・ヒューストンやウィリアム・ワイラーの他、ヘンリー・フォンダ、バート・ランカスター、ベティ・デーヴィスなどがいた。逆に赤狩りに協力したものとして、セシル.B.デミル、エリア・カザン、ゲーリー・クーパーなどがいた。だがボガートは、まもなく自分は共産主義者ではないと表明して、運動から一線を画すようになった。相棒のヒューストンは、アメリカの狂気に愛想をつかして、アイルランドに身を寄せた。 ボガートは日本人にも人気がある。一時期は、映画評論家たちがこぞってボガートを称賛したものだ。ここではそんなハンフリー・ボガートの代表作を鑑賞の上、適宜解説・批評を加えたい。 アメリカ映画「マルタの鷹」 ハンフリー・ボガートの出世作 カサブランカ:ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマン アメリカ映画「サハラ戦車隊」 ハンフリー・ボガートがアフリカの砂漠を暴れまわる 三つ数えろ ハンフリー・ボガートが演じるフィリップ・マーロウ 黄金 ハンフリー・ボガートが山師になる キー・ラーゴ ハンフリー・ボガートが退役軍人を演じる アフリカの女王 ハンフリー・ボガートとキャサリン・ヘップバーンの気の合った冒険 悪魔をやっつけろ ハンフリー・ボガート山師を演じる アメリカ映画「ケイン号の叛乱」 米海軍の艦船内で起こった事件 ウィリアム・ワイラー「必死の逃亡者」:脱獄囚と立ち向かう 裸足の伯爵夫人 ハンフリー・ボガートとエヴァ・ガードナー |
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