壺齋散人の 映画探検
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ポルトガル、夏の終わり:世界遺産シントラが舞台



2019年の映画「ポルトガル、夏の終わり(Frankie)」は、ポルトガルを舞台としてはいるが、ポルトガル映画ではなく、アメリカ映画である。映画のなかでしゃべられているのは、英語とフランス語であるし、登場人物はみな、外国からきた観光客ということになっている。主人公をはじめフランスから来たものはフランス語を話し、ロンドンから来たものは英語を話している。

この人間像の中核にいるのは、フランスの偉大な映画女優フランキーである。本当はフランソワーズという名なのだが、英語流にフランキーと呼ばれているのだ。そのフランキーが、家族とともにポルトガルのシントラに滞在する。それにあわせて、彼女の親しい友人らも集まってくる。彼女はがんの末期で、余命いくばくもないので、家族や友人たちと人生の最後を過ごしたいと思ったのだ。彼女にはニューヨークに住んでいる息子がいるのだが、そのニューヨークに気に入った娘が暮らしていて、できたらその娘と自分の息子を結婚させたいと望んでいる。

そんな背景のなかで、登場人物たちが、それぞれ勝手な行動をする。その行動をカメラが追いかけるといった構成で、ストーリー性はなく、かといってドキュメンタリータッチでもなく、かなり緩んだ印象の映画である。見どころがあるとすれば、登場人物のそれぞれがエゴをむき出しにするところだろう。たとえば、黒人と結婚した女が、その黒人に愛想をつかして離婚を要求するが、愛想をつかした理由はまったくないに等しいのである。

小生がこの映画に興味を持ったのは、舞台がポルトガルのシントラだからだ。シントラは、リスボンの西の郊外にある古い町で、世界遺産にも登録されている。映画はそのシントラの町の雰囲気を味わせてくれるかもしれないと期待してこの映画を見たのだったが、その期待は満たされなかった。有名な建築物はほとんど映されないし、シントラの町のたたずまいもスルーされている。だから、この映画にシントラの観光案内を期待するものは、その期待を裏切られるであろう。

ラストシーンで、海岸沿いにあるらしい荒れた台地が映されるが、その荒涼たる雰囲気が、いかにもポルトガルらしいというような決めつけが伝わってくる。




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