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ミケランジェロ・アントニオーニ「赤い砂漠」 愛の不在



ミケランジェロ・アントニオーニの1964年の映画「赤い砂漠(Il deserto rosso)」は、いわゆる「愛の不毛」三部作に続く作品。これは愛の不毛を通り越して、愛の不在とでもいうべきものを描く。愛の不在とは、夫にたいしては無論、ほかの男に対しても、また自分の子供に対しても愛を感じることにできない一人の女の不幸をいう。モニカ・ヴィッティ演じるその女は、心を深く病んでしまったために、ある種の離人症に陥り、人を愛することができなくなってしまったようなのだ。

映画は、イタリアのある町で行われている工場のストライキを映すところから始まる。その工場は、どうやらラベンナにあるらしい。そのラベンナがこの映画の舞台だ。そのストライキの模様を子連れの女が見ている。彼女は空腹らしく、ある男の食っているパンを、食いかけのままもらいうけ、むしゃむしゃと食ってしまうのだ。この異常な行動が、この女の精神状態を暗示させるというわけだ。

彼女の夫は、その工場の技師だ。かれのところに、一人の男が訪ねてくる。ビジネス上の用向きだ。やがてその男と女の間に妙な男女間系が生じることになる。その関係は、セックスをともなっているようだが(セックスシーンは暗示にとどまる)、二人の間に愛が成立することはないのである。

夫が南米に出張して不在の間に、女のほうから男に声をかける。その前に、子どもが仮病をつかい、母親を困らせるシーンがある。そのことに傷ついた女は、精神の保証行為のように、男を求めるのだ。

女と夫との夫婦関係は、ちょっと異常である。夫は友人に妻をゆだねっぱなしだし、また、三人が一緒になって海辺の小屋に遊びに行く。その小屋で、ほかの男女を交えて、性的なゲームをやる。そのゲームに性欲を刺激された女は、夫に向って「やりたくなった」と迫る。夫は、「場所が悪いよ」というのだが、それが妻の欲求不満をたかめて、やがて他の男に不満解消を求めさせるのである。

妻の精神状態が異常になったのは、交通事故の後遺症だということになっている。交通事故で瀕死の体験をしたために、精神に異常をきたしたというのだが、たしかにそういうことがあるかもしれない。しかし、モニカ・ヴィッティの表情を見る限りでは、精神障害からではなく、女の人格そのものが壊れているのではないかと感じさせる。彼女は、皆の見ている前で車を暴走させ、あわや海へ転落しそうになるのだが、それは、病気のためだというより、彼女の冒険趣味を語っているように見えるのである。

そんなわけで、難解と言われるアントニオーニの作品のなかでも、いっそうな難解さを感じさせる作品である。




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