壺齋散人の 映画探検
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ルキノ・ヴィスコンティ「山猫」 シチリアの貴族気質



ルキノ・ヴィスコンティの1963年の映画「山猫(Il gattopardo)」は、シチリアの大貴族の生きざまをテーマにした作品。ガリバルディらによるイタリア統一運動の高まりの中で、新しい時代の流れに適応できず、古い価値観にこだわる貴族の悩み、あるいは貴族気質のようなものを描いている。その貴族サリナ公爵をバート・ランカスターが、かれの甥で出世欲のある青年タンクレディをアラン・ドロンが演じている。ランカスターはアメリカ人であり、ドロンはフランス人である。その二人の外国人が流暢なイタリア語を話す。まさに国際的なスケールの映画である。

映画は、ガリバルディの赤シャツ隊がシチリアに上陸し、守旧派と衝突するところから始まる。ガリバルディのシチリア遠征は1860年のことである。その後ガリバルディが支持するサルデーニャの国王ヴィットリオ・エマヌエーレがイタリア王となるのが翌1861年のことだから、映画はその短い期間において目まぐるしく変わる情勢に、サリナ公爵がどのように対処するか、その動きを追っているわけである。

映画はサリナ公爵とタンクレディを中心にして展開していく。サリナ公爵の娘コンチェッタがタンクレディを深く愛しているのだが、サリナ公爵としては、七人の子どもたちに平等に財産をわけねばならず、娘の持参金だけではタンクレディには十分ではない。侯爵はこの青年に一族の未来を託しているので、大金持の娘を嫁にしたいと思う。巨額の持参金で、出世のための資金を賄おうというのである。

そのタンクレディは、当初はガリバルディの赤シャツ隊に加わり、赤シャツ隊の勢いに乗じる形で出世の足場を得る。そんなタンクレディを公爵は、成り上がりの大金持ちセダーラの娘と結婚させることにする。セダーラはその婚姻に満足し、巨額の持参金を約束するのだ。一方、タンクレディは狡猾に振る舞い、ガリバルディが一線から隠退すると、赤シャツ隊を抜けて国王軍に加わる。国王軍でのタンクレディの立場は強固なので、かれは出世するに違いない。

ある日、新政府の使者がサリナ公爵を訪ねてくる。新たに設置される上院の議員としてサリナ公爵に就任してほしいというのだ。その申し出を公爵は断る。自分は古いタイプの人間で、新しい時代の流れにはついていけないからというのが理由である。その際に公爵は、自分には山猫のような野生の生き方が似合っており、文明にはついていけないと弁明する。その山猫という言葉が、この映画のタイトルになっているわけで、それは古い時代の権化であるサリナ公爵のことを意味しているのである。

ヴィスコンティ自身は、ミラノに本拠を置く貴族の末裔だそうで、サリナ公爵とは強い親近性があるという。だからこの映画は、ヴィスコンティ自身の思いが強く込められているということだそうだ。




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