壺齋散人の 映画探検
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石井裕也「ハラがコレなんで」 貧者の連帯



石井裕也の2011年の映画「ハラがコレなんで」は、貧しい人間たちの助け合いというか連帯をコメディタッチで描いた作品。石井裕也は、いわゆる負け組と称されるような人々のみじめな生き方を描くのが得意だが、この映画は、貧しいながらもみじめ一点張りではなく、それなりに自分に誇りを持ち、貧しいもの同士で助け合うことの大事さを強調したもの。いわば貧者の連帯がモチーフである。

妊娠末期でシングルマザーになった光子が、少女時代に住んでいた古長屋に舞いもどってくる。その長屋は戦災をくぐりぬけたもので、そのためかえって世間の発展から取り残されている。女の大家がなかなかの人情家で、貧しいものに同情する一方、粋な生き方にこだわったりする。その大家の粋な生き方が、光子の回想というかたちで描かれる。一方、光子には男の子の友達ができる。その子は定食屋の叔父に養われていて、光子が好きになり、大人になったら結婚したいと告白する。

そんな過去を持った光子が、体の弱った大家の面倒をみるという形で長屋に住み着く。光子はまた、例の定食屋を手伝い、閑古鳥が鳴いていた店をそこそこに繁盛させる。ときに世の中は不景気で、いったん長屋を出たものが、生活にいきづまって戻ってくる。その中には光子の両親もいた。両親は光子がアメリカにいるものと思い込んでいたので、なぜこんなところにいるのかといぶかる。だが、両親も含め、この長屋に舞い戻って来た者らには、それぞれ深い事情があるのだ。

光子はなかなかのおせっかいで、それが皆に愛される。おせっかいがすぎて、妊娠末期の自分の体には無頓着だ。それがたたって、遠出した先でにわかに産気づく。だが、周囲にいるものがいろいろと働いて光子を無事お産させる、といったような内容だ。

貧者の連帯をコメディタッチで描いた作品で、腹の大きい妊婦を演じた仲里依紗がなかなか見せる。彼女は黒人系の男と一度は結ばれて捨てられたことになっているのだが、その黒人男を「でかい」と形容する。「でかい」のは体格のほかに、下半身のでかさも意味しているらしい。




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