壺齋散人の 映画探検
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おとうと:山田洋次



山田洋次の2010年の映画「おとうと」は、市川崑が1960年に作った同名の映画のリメークだということになっている。両者とも幸田文の小説を下敷きにしているが、市川の作品が原作にかなり忠実なのに対して、山田のこの作品は大胆な変更を加えている。主人公である姉弟が、原作や市川の映画では十代の若者なのに対して、この映画の姉弟は中年を過ぎている。弟が姉を困らせた挙句病気で死んでゆくところは同じだが、この映画の弟は、(原作のように)不治の病の結核に倒れるのではなく、放浪の果てに行旅病人となり、大阪にあるホスピスで死んでゆくという設定になっている。二つの映画の間には五十年の歳月が流れているわけで、この映画はその歳月の流れを反映したものとなっているわけだ。

姉を吉永小百合が、弟を笑福亭鶴瓶が演じている。このほか二人にとっての兄が出てくるが、これは主人公を中年に設定したことにともなう細工だろう。原作で両親が演じている立場を、ここでは兄夫婦が代わって演じているわけだ。主人公たちが中年になっているからというわけか、子供がいてもおかしくないわけで、姉には年頃の娘(蒼井優)がいることになっている。その年頃の娘の結婚式を、鶴瓶演じる風来坊の弟が台無しにすることから映画は始まる。

原作や市川の映画では、弟は未成年で、万引きや賭け遊びのような不良行為を繰り返しては姉を困らせるのだが、この映画の弟は、別にそうした反社会的な行為をするわけではない。ただ少し頭が足りないために、不必要に周囲の人間をイライラさせるのだ。そんな弟に向かって、姉は慈悲に富んだ姿勢で接している。ついには堪忍袋の緒が切れて、一度は絶縁してしまうのだが、その辺は、この映画独自のところだ。そこにはやはり歳月の流れが作用している、と受け止めるべきだろう。なお、原作では、不良の弟への姉の無私の愛には、近親相姦的なものが感じられたが、この映画の中の姉の無私の愛には、弟への憐憫の情を感じさせるものがある。姉は、自分たちがなんとかやってこれたのは、弟が踏み台になってくれたからだと、多少行きすぎた感がないわけでもない良心の呵責にさいなまれているのである。

映画の後半は、原作同様に、弟の死に至る病を描く。原作では結核で海辺のサナトリウムに入院した弟が、死の床で姉に甘えるところが描かれているが、ここでは、結核ではなく、全身癌の巣窟と化した弟が、大阪の通天閣近くにあるホスピスに入れられて、そこで人生最後の日々を過ごしている。そこへ姉が訪ねていって数年ぶりに再会し、弟の死を見守るわけだ。ここでも中年を過ぎた、いい親爺であるはずの弟が、姉に対して甘える。その甘えの場面の中で、姉が弟のためにリンゴの皮をむいてやったり、死に行きつつある弟のために好物の鍋焼きうどんを取り寄せて、それをこまかくして食べさせてやったり、いよいよ最後の死の床で互いの手をリボンで結んで絆を強めたりするところが映し出されるのだが、これらのシーンは市川の映画の中のシーンを再現したものだ。特に、互いの両手をリボンで結び合うところなどは、弟の異変に気付いた姉が助けを求めて病院のスタッフのところへ駆けつけてゆく場面まで、そっくりそのまま市川の映画と同じである。

この死の床の舞台となったのは、大阪のみどりの家というホスピスということになっているが、これは実在しないということだ。山田がこのホスピスのモデルにしたのは、大阪ではなく東京の山谷地区にあるきぼうの家というホスピスである。このホスピスは、山谷の行き倒れ病人が最後にたどり着くところで、一人の医師が純粋な慈善の気持から始めたものだという。この映画の中では、医師ではなく、普通の市民が医師の協力を仰ぎながら末期がん患者の世話をしているということになっている。山田が参考にしたのは、ホスピスの運営の詳細だったようで、建物の外観などは、実際のきぼうの家とは全く違う。

この映画は、吉永と鶴瓶との姉弟愛を中心に構成されているのだが、それと平行する形で、娘の小さな愛の物語も進行してゆく。娘は一旦は結婚に失敗したのだが(それには鶴瓶に大きな責任があった)、新たな愛をはぐくんで、それを鶴瓶の死の床で結実させるのだ。このサブプロットがあるおかげで、映画全体にふくらみが出ている。市川の場合には、姉と弟の間の出来事に限定されていることで、全体として息苦しい感じを与えるのだが、この映画では、娘たちの繰り広げるサブプロットが、物語に花を添えている。





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