壺齋散人の 映画探検 |
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河瀬直美の2008年の映画「七夜待」は、タイを単身で旅行する若い女性の話である。この女性は言葉も話せずに一人旅をしている。度胸がいいといえば聞こえがいいが、ようするにおっちょこちょいなのだ。そのおっちょこちょいぶりの余りに、偶然乗りこんだタクシーに、とある家に連れていかれる。ホテルに行くつもりが、言葉が話せないままにいい加減な受け答えをしているうちに、タクシーのドライバーが誤解して、彼女を自分の知り合いの家に連れてゆくのだ。彼女は誘拐されたと思ってパニックになるが、家の人たちの親切な対応に心を許す。 そこまではよくある話だが、めずらしいのは、彼女がそのままこの家に居ついてしまうことだ。この家には、主人の女将とその息子の外、知り合いということになっているタクシーの運転手と、変なフランス人が住んでいる。そのフランス人は、家の女将からマッサージを習っているらしいのだ。そのマッサージで彼女も、心身がリラックスするのを感じる。リラックスついでに、フランス人に対して性欲が起るのを感じるが、そのフランス人はゲイなので、彼女には性的関心を抱かない。そこで彼女は現実の彼に抱いてもらえない代償を夢のなかに求めるというわけである。 こんなわけで、かなり滅茶苦茶な筋書きだ。こんな女性がいまの日本に存在するのかどうか。男の目からみると、この女性は危うく映るが、女の目から見ればそうではないのかもしれない。女だってこれくらいのアドヴェンチャーをするのは不思議でも何でもない、ということか。 この女将は昔日本人の恋人がいたということになっている。彼女の息子はその日本人の子なのだ。そのわりには、映画の中の日本の存在感はないに等しいので、別に何ということもない。こうしたほうが、日本人の観客に受けると思ったのだろうか。なくもがなといったところである。その日本のことを、映画の中のタイ人たちは、ニポンと発音していた。 幼い男子が僧侶になる決意をするところは、やはり仏教国タイならではの演出だろう。タイではいまでも、幼い男子を僧侶にすることが行われているらしい。僧侶は社会の特別な階級であるし、人々の尊敬を集め、また食いはぐれることもないので、下層の階級にとっては羨望の対象なのだろう。 河瀬らしく、タイの自然を美しく見せてくれる。特に雨に濡れた木々のつややかさが印象的だ。その自然を背景にタイの人々が踊るのだが、その踊りというのが、手先を器用に使った踊りで、沖縄の踊りを思わせる。おそらく文化的にどこかでつながっているのだろう。 題名の七夜待(ななよまち)が何を意味するのか、画面からは伝わってこない。日本では七夕のある月を七夜月といっているが、タイでも同じようなことがあるのだろうか。 |
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