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キルギス映画「あの娘と自転車に乗って」 思春期にさしかかった少年



1999年のキルギスタン映画「あの娘と自転車に乗って(アクタン・アブディカリコフ監督)」は、思春期に差し掛かったキルギス人の少年とかれをとりまくキルギス人社会を淡々と描いた作品。これを見ることにより、日本人にはなじみの薄いキルギス人社会の特徴の一端を知ることになろう。

キルギスタンにはいつくかの民族が共存しているようだが、この映画に出てくるのはキルギス人とよばれる人々である。顔つきはモンゴル人に似ており、イスラム教徒である。生活の様子は、詳しくはわからないが、一応集落を単位に暮らしているように伝わってくる。水を大事にしているから、おそらく周囲には砂漠地帯が広がっているのだろう。

テーマは、思春期にさしかかろとする少年たちの日常だ。主人公はベシュケンピルという名の少年(かれの名が映画のタイトルになっている)。その少年が一人の少女に思いを抱く。少女は少年より体が大きいので、すでに思春期に突入しているのであろう。愛想がよく、男の前でも平然とふるまう。その女の子を自転車に乗せて走るのが少年の願いだ。

その少女は、大人の男と仲良くしていて、一緒に自転車に乗ったりしている。少年は、その男と少女の間を取り持っている間に、少女にあこがれるようになるのだ。少年には数人の遊び仲間がいる。その仲間たちと悪ふざけをしたりする。たとえば、砂で大きな人形を作り、股の間にうがった穴を女陰にみたて、それに自分の一物を突っ込んで喜ぶといった具合だ。かれらはすでにマスターベーションを知っており、主人公の少年もまたぐらに手を突っこんで、ぼけた顔つきになるのである。

主人公が少女と仲がいいのを嫉妬した仲間が、少年を迫害する。そして、捨て子のくせにと罵る。そのことで少年はショックを受ける。そんな少年を、両親や祖母が心配する。父親は、お前は養子だといって説得する。キルギスでは、実子のできない夫婦は養子をとるのが普通で、なにも恥ずかしいことではないと言うのだ。それを聞いた少年は、気分がすっきりする。やがて祖母が亡くなると、少年は会葬者に向かって、親族を代表して挨拶する。この集落では、人々は密接に結びついており、互いに助け合うのが掟なのだ。

少年はかつての願いをかなえる。自転車を借りて、それに少女を乗せて走るのだ。映画は、自転車に乗った二人の姿を映しながら終わるのである。




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