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オーストラリア映画「ライオン~25年目のただいま」



2016年のオーストラリア映画「ライオン~25年目のただいま(Lion ガース・デイヴィス監督)は、オーストラリア人夫妻の養子となったインド人少年の物語である。この少年サルーは、大きな町の駅で兄とはぐれたあと、1600キロも離れたカルカッタへ移送され、そこを放浪しているうちに、児童施設に入れられたのであったが、性格が素直なところを評価され、オーストラリア人夫婦に養子として引き取られる。その際、少年はまだ五歳ほどの年であり、自分で生きていくことはほとんど不可能だったから、ほかに選択の余地はなかった。

さいわい養父母は愛情をもって接してくれた。同じ境遇で、養子同士の兄弟関係になったインド人少年マントッシュとは、なかなか心を開いて接することができなかったが、養父母との関係はよく、メルボルンの大学に入れてもらうこともできた。しかしかれは、母親や兄のことを一度も忘れたことはなかった。学生仲間と食事会をしていた際に、たまたま揚げパンを見る。それは、昔インドの市場に見た揚げパンと同じもので、それを見たサルーは、激しい望郷の念に襲われる。それを仲間に話すと、昔の記憶や、カルカッタまでの列車での移動のデータをもとに、故郷の場所が復元できるかもしれないとアドバイスされる。そのアドバイスを受け入れたサルーは以後、Google Earth を最大限に利用して、故郷の町の所在をつきとめようとする。

サルーの努力は実って、故郷の所在が特定された。それはガンジス川上流にある小さな町で、ガネシュタライといった。それをサルーはガネストレイと覚えていたのだった。ともあれ故郷に帰ったサルーは、母親と妹に会うことができた。あんなに逢いたかった兄のブドゥは、サルーが迷子になったその日に、列車にひかれて死んだと聞かされる。そのことは悲しかったが、母親を安心させることができてうれしかった、というような内容である。

眼目となるテーマは、オーストラリア人夫婦が、インド人少年を養子として引き取って育てるということだろう。この映画の中のオーストラリア人夫婦は、善意の塊のように描かれている。その善意が不幸な少年を救ったという構図だ。かれらがなぜインドの少年に興味をもったか、についてはわからない。オーストラリアという国は、原住民のアボリジニを殲滅することで成り立ったわけであるから、それへの罪滅ぼしとして、アボリジニの不幸な少年の面倒を見るというのは理解しやすいが、まったく関係のないインドから、不幸な少年を引き取るということは、どうもしっくりとしないところがある。オーストラリアは基本的には移民で成り立っている国家であるから、インドのような後進国から積極的に子どもを輸入するということか。




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